ちょっと聞いてくださいよ。
アプリをね、ダウンロードしたんですよ。必要になったんでね。
そしたらびっくり。
数分後、目の前で流していたYouTubeに広告が流れるタイミングが訪れまして。
そのアプリのCMがバチコーンと流れたのですよ。
今までこのアプリを使ったこともなかったのに、突然にね。
そりゃあ、仕組みは解ります。
アプリをダウンロードしたアカウントと、YouTubeを視聴しているアカウントが繋がっているのでしょう。
こいつはこのアプリに興味があるぞ!という展開がなされたのでしょう。
令和のこの時代、ユーザー毎に調整された情報が流れるように仕組まれているのは当然のこと。
スマホ、PC、アカウント。あれもこれもが連携して徒党を組んで、自動的に私が触れることが出来る情報が調整されて、ある種制限される。
リアルに、私の目に映る世界と隣の誰かの目に映る世界が乖離していく。
エコーチェンバー現象?そりゃそうだわな。とね。
とは言え。果たしてそれは今に始まったことか?とも思うのです。
オールドメディアと言われる物事から出力される情報。別に陰謀論がどうだー!とか言うレベルではなく、普通に考えられるレベルとして、世情や様々な関係性によって調整された情報であることは間違いありません。
広告関係もそうでしょう。現在に比べればランダムに目の前に提示される感が強いけれど、「何かしらの動きや流れ」によって整えられた方向性を意図的に見せられているのは明らかです。だって広告だもん。
他人の話も、何を信じ、何を重要視するかは受け取り側の感性によるし。
散りばめられた情報のどれに手を伸ばすかも同じ。
大自然の景色を目に映したって、どこに目を向け、何を良しとし、何を悪しとするかだって個人による。
客観的、なんてあり得ない。
エコーチェンバー、仕方ない。
そして私は、考えることを辞めた。
おしまい。
とまぁ、これが結論にはなってしまうのだけれど、それも何か嫌なんです。
私「誤解」が大嫌い。
どういうとかというと、現実はもちろんとして、エンタメや物語を摂取する際に「誤解する展開」というものがあるじゃないですか。あれが本当にダメ。
共感性羞恥でしたっけ?ドラマを見ていてシーンに共感し過ぎちゃう的な。あんな感じで「誤解によって生まれる悪い展開」を見ると、心がねじ切れるほどに辛くなってしまうのです。
そうじゃないのに。
本当はきっと違うのに。
転じて、なんで視野が狭くなってしまうんだ。
もっと...もっと、違うのに、理解し合えずとも、共生は出来るかも知れないのに。
当たり前に、私がそういうポジにハマることもあるでしょう。
その確率は、どうせなら低くしたい。
私の小さなキャパでも出来る限りは、俯瞰する目線は持ちたい。
ならどうしよう?
自分の範疇の外にある物事をおざなりにしない、ちゃんと着目して...とは言うけれど、リソースは有限。
あれもこれもにリソースを割いて触れていては人生が終わってしまう。
たがら。
せめて。
否定はしない、と決めたのです。
私は違う考えを持っているけれど、あなたの考えを否定はしない。
私がこちらの道が正しいと思うけれど、あなたの道が誤りだとは考えない。
相容れないかも知れないけれど、嫌いはしない。
そう決めたんですよ。うん。
おや、何だか話が変わってきましたね。
そう。そうだ。否定はするな。するなよ?私。
指示に頂戴し、時に意見は出しつつも意思決定権限に従い、積み重ねた作業が片っ端から無駄になったり、AとBを何度も行き来することになっちゃぁいるが。
怒るなよ?私。
費やした時間と労力の対価としたお給料は出るのだから。
今の私は組織の手足となる役割なのだから。
「なぁ~にぃ!?やっちまったなぁ~!」
なんて。杵を振り上げることはするなよ?
いやぁ~、上手くいかないっすね!と苦笑いをかましながら。
明日からの仕事も頑張りましょう...ね。
だから言ったのに...って、言いたいよねぇw





