マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

【星空の夜に_OLD CIRCUS】もうちょっとだけ生きていたくなる素敵な曲

待ってました。本当に待ってましたよ。

人生40年近く生きて来て、数多のバンド解散、活動終了の瞬間に立ち会って来ました。

確かに、活動再開!という局面も存在はしていましたよ。

けれども、大抵は売れに売れた大御所バンドが、解散後に悠久の時を経て活動再開!という、嬉しいんだけれども、「まぁ...うん...」といったものが大半。

解散!?なんで!もっとあなたの音楽を聴いていたかった!と嘆いたバンドの曲が、割合短い期間の後に再び聴ける、それも新曲!という展開なんて、至極レアケースなのではないでしょうか。

昨年出会い頭の事故のように出会った素敵なバンド。既に解散してしまっていたバンドが再びライブを放ち、新規にMVを発表してくれた!

これを奇跡と言わずに何と言うのか。

『OLD CIRCUS』の『星空の夜に』。

お帰りなさい。待っていましたよ。


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正直に白状します。冷静に音楽を聴くことが出来ません。

1年前。私自身が辛い時期に出会い、色々な、本当に色々なものを頂いた音楽。

和泉隆宏氏、OLD CIRCUS、前進のロマン急行。

これらの音楽に、冗談抜きで救われて来た1年でした。

少しずつ過去の音源を解禁して行きましたから。

冬のあの日に歩きながら聴いていた曲。

夏のあの日に車の中で鬼リピしていたあの曲。

それぞれの楽曲と具体的な人生と私の想い出が、がっつりとリンクしたこの一年。

そんな彼らが。帰って来た。

音楽活動を続けてくれるだけでなく、そのままに帰って来たんです。

そしてその足跡もまた、YouTubeを通して目にしてきました。

こんなの、もう...冷静でなんて居られません。

彼らの力を借りながら、なんとか震える足を支えて来たこの一年。

その先に輝く彼らの姿が待っていた。

この世界、まだまだ捨てもんじゃあないですね。

 

私的彼らの好きなところは、感情に語り掛ける「エモさ」を武器にしながらも、たたき出す音がガチガチのロック、生粋のバウンドサウンドというバランス感覚。

とはいえ。

YouTubeでしか聴けていないからか?

彼らの思いが込められているからか?

今回のこの曲は、一にも二にも、歌詞をしっかり聴き取ることが出来るように作られているような気がします。

彼らからのメッセージをしかりと届ける。それがこの楽曲に課せられた使命なのかもしれません。

どこまでもまっすぐな歌声が花道を歩く、その周りに華を添えるように配置されたバンドサウンドが実に心地よく。

二日酔いの朝のお味噌汁の様に、するすると摂取することが出来ます。

しかしそこはOLD CIRCUS。

独断と偏見ですが、ベーシストが軍手をしているバンドはガチ中のガチです。

ドラムはさりげなく激しく。

ベースラインはヴィンヴィンと低音から華やかさを支え。

ギターサウンドはいつものように煌めくような光を散りばめてくれます。

楽曲がラストに近付くにつれ、全員がMAXモードに突入して行く様が、実にバンドサウンドの美味しさを表していて良いですね。

 

そして、この歌詞、歌声、世界観。

もうね、ダメですよ、こんなの。

この一年、ずっとYouTubeチャンネルを見て来ました。

何度気だるそうに起き上がる姿を見て来たか。

何度颯爽とマラソンレベルのジョギングを繰り返す姿を見て来たか。

何度美味しいものを食べ。

何度タカラのハイボールを飲み。

何度ぐったりと布団に沈む姿を見て来たか。

MVには見覚えのあるシーンもちらほら。

バンドメンバーと顔を会わせる姿、語り合う姿、リハをしている姿を見て来たか。

万感の想いとはこの事ですよ。

和泉隆宏、OLD CIRCUSという存在に魅力を感じ、あまつさえYouTubeを眺めて来た者達の中に、このMVに感動を覚えないひとは居るだろうか?

 

音のひとつひとつに感銘を受け、しっかりと味わい。

言葉のひとつひとつに納得し、頷き、共感を覚えてしまいます。

「もうちょっとここにいたい」というのは、本当に共感しかありません。

この世はサイコー!だなんて思えない。

love & peace!と叫べるほどにお花畑ではない。

この世界に生きて行くことに幸せを感じます!と胸を張ることは出来ない。

けれど。

この世界に唾を吐く気にもなれず。ディスるような気分でもなく。

悪くはない。本当に悪くはないこの世界。

もう少しだけ、生きて見てもいいですか?

生きていても、許してくれますか?

もうちょっと、ここに居てもいいですか?

私の今の飾らない本音、生きる理由はこれに尽きるかも知れません。

 

そして個人的一番のハイライトはラストのひと言。

『また笑い合おう』

普通の言葉かも知れません。

これまでの人生で、何度も目にした言葉でしょう。

でも、めっちゃ素敵じゃない?この言葉。

誰にでも、通じると思うんですよ、この言葉。

一緒に生活をする家族から、職場で顔を会わせるくらいのひとまで。

なんなら、街ですれ違う見知らぬひとが相手としたって。

ふと「笑い合う」ことが出来たなら。そこはもう、涅槃です。

そしてどんなシチュであっても、幸せしかないと思うんです。

それこそ、最愛のひとだって。

ちょっと苦手だけれども付き合うしかないあのひとだって。

公園でふと見かけたちびっ子だって。

誰かと「笑い合う」ことが出来たなら。そこはもう、涅槃ですよね?

 

いつでもどこでも、きっと世界が滅びても、星空はきっと奇跡のように綺麗であり。

いつでもどこでも、きっと世界が滅びても、誰か笑い合えたらそこは涅槃であり。

一秒でも多く。笑い会えていたならば。それはもう涅槃。

うん、笑おう。

もうちょっとだけ、笑って生きてみても、いいですか?

私的今年の漢字は「承」とさせていただきます

毎年、「今年の漢字」みたいなの、ありましたよね。

元々すぐに忘れてしまうし、最近はメディアとの距離感も大きい今日この頃ですから。

今もそうしたイベント?があるのか。

今年の漢字はなんだったのか?

それは自分自身に当てはまるか?

なーんてことは一切知らず。勝手に決めてしまいます。

今年の漢字は「承」。起承転結の承ですね。

 

生まれた時に「起」、幕を閉じる時に「結」とするならば。人生の大半は「承」と「転」で構成されていますよね。

入学したり、就職したり、結婚したり、生活が変われば「転」。

仕事内容が変わったり、異動だったり、引っ越しとか、そういうのも「転」ですね。

そうした「転」で変化して、「承」がしばらく続いて、また「転」が訪れる。

なんとーなくの経験とイメージで、ざっくり一年くらいで区切るとして。

「転」→「承」→「承」→「承」→「転」→「承」→「承」...

まぁ、こんな感じじゃないでしょうか。私はそうでした。

ところがどっこい。ここ数年の私は、正に「転」に愛されし者でした。

 

6年前→転:家族の大病で全てがひっくり返る。

5年前→転:最後を覚悟して休職に動く。

4年前→転:永遠の別れ。

3年前→転:退職決定。

2年前→転:転職成功(年末ギリギリ)。

1年前→転:新環境スタート。

中年としては、転の中でも「大転」の繰り返しだったのがこの激動の数年間でした。

そして今年。

新しい職場で働き始めてから2年目を迎えたのです。

正に「承」!

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

陰キャの保守派、事なかれ主義の日和見な私にとって、何よりも大好物なのがこの「承」ですからね。

正に待ってました!の一年でありました。

 

まぁね。実際はね。

ここ数年の「大転」に比べれば圧倒的な「承」なだけで。

中年の中途入社となれば新社会人とは違いますから。仕事内容の面ではまぁ七色に変色し始めたし、あんなことやこんなことにも関わり出したし、辛いことも嫌なことも色々あったのではあるけれど。

結果として「承」。

それなりに安定した日々を過ごすことが出来た気がします。

もちろん、そのための自己管理や調整等々、出来る限りの努力をもって、ね。

そこは素直に喜ぶべきだし、たまには自分を褒めてあげたい点ですね。

 

逆に言えば、一年の漢字に「承」を選ぶくらいに、他に輝く何かは無かったということでもあります。

後ろ向きにとらえれば、平坦で面白みに欠けるマンネリの日々に片足を突っ込み始めているということ。

前向きにとらえれば、転の繰り返しをようやく抜け出し、しっかりと足場を固めることが出来ました、ということ。

さぁ、足場が固まったところで、次はどっちに飛び出してみましょうか?

落ち着いて、ぐるっと見回して。何か面白そうなものでも探してみませんか?

来年の課題は、そんなところでしょうか。

またしても急転直下の大転換が待っているかも知れませんけどね。

リアル「もう失うものなんてないもんね!」になって来た今日この頃。

大転換が来たら来たで。うん。どんとこーい!

今年もやっぱり冬が来た

当たり前ですね。でも、その当たり前が凄いなぁ...と思うのです。

今年はめちゃくちゃ暑かったですよね。

まだそんなに暑くならなんやろ~...という時期から暑くなり。

もう涼しくなるやろ~...という時期になってもまだ暑く。

地球温暖化!暑い!暑いぞ!と叫びまくっていた2025年夏。

12月になった途端これですよ。

普通に凍える朝、バッチリ一面の霜が降り、車の窓もカッチカチ。

今年もちゃ~んと冬が来ましたね、と。

 

これ、凄くないですか?

暖冬のような振れ幅あるにしろ、これが毎年必ず繰り返されるんですよ?

気が遠くなる年月、この法則が乱れることはなく続いているだなんて。

そりゃあね、令和の今となってはその仕組みも学校で習っていますから。なにやらこの地球は宇宙でぐるぐる回っているらしいとか、それを一年としているからとか、理由は解っているのだけれども。

それにしたって一糸乱れぬこの繰り返しには驚くばかり。

日本の電車のダイヤは正確だ!なんて言われるけれども、この宇宙の法則に比べたら屁でも無いですよ。

1日が段々と長くなる方向にだけずれていくことだってないし。

1年はいつまで経っても365日。

いやいや、うるう年ってものがあるのじゃよ...と言ったところで、4年に1日増加するという、乱れているようで一定の誤差調整で済んでしまう不思議。

突然2月が8月になることはなく。

突然平均気温が10℃単位で変動することだってなく。

びしっびしっと変動は含みながらも精密に動いて行くこの世界。

シミュレーション仮説、なんていうのも納得のお話です。

 

この世界は何らかのシミュレーションによって成り立っている!という考え方は、今となってはエンタメの世界ではあるある展開ではありますが、ガチの科学論文も多く発表されているようですね。

論文が出る=事実ということではなく、論文が出る=本気で検討する余地があると考えているガチ研究者もいらっしゃる、ということで。

雑に言えば、この世界のあらゆる法則やパラメータが神がかり過ぎている、と。

この世界のあらゆる設定値のいずれかが少しでもズレていれば、色々な物が全く持って成り立たない、と。

意図的に設計されているとしか考えられない、と。

それこそ天文学的な回数だけサイコロが振られ、その結果生まれた奇跡の産物であって、シミュレーションじゃあないですよ、という論もありますが。

いやはや、面白い仮説です。

 

もっと面白いのは、今でこそ発達した科学の中で「物理定数〇〇が××で...」という思考の先にこのシミュレーション仮説が登場するわけですが、太古の昔から「世界創造」やら「神様」という存在や考え方は普通にあったわけで。

科学を突き詰めて行ったらシミュレーション仮説にたどり着いた。という道筋があるとするならば、太古の昔の「神様が世界を創った」という説にはどんな道筋があったのでしょうかねぇ。

ただの空想?想像?いやいや、想像するのにだって道理はありそうなもの。

雷を見て神様の怒りじゃ~、あんなことが巻き起こせる凄い存在がいるんじゃ~、という道筋があったとして。

いやぁそれは空想というものですよ、その仕組みは静電気がね...と結論したとして。

静電気含む世界構造が意図的に設計されていたとするならば、回り回ってはじめの空想が当たらずも遠からずとも言えたり。

古来からの仏教の「空」の考え方と、近代の量子力学における「観測するまで物事は確定しない」という考え方が、実にぴったんこかんかんであったり。

あなたは神を信じますか?と問われたら「どうせなら居た方が面白いよね」と返す考えを持っていた私。令和の今は「マジで居るかも知れないってよ」というのがガチ回答になりつつあるという...

いやはや、面白いですね。

 

まとめますと...最近めっきり寒くなりましたね。

広告の効果は抜群だ!

私は昭和生まれの中年ド陰キャ。精神を拗らせし者。

広告ってやつに対して、ひねくれた感覚を持っているんです。

なんだか今話題らしいよ!といわれているものに、何だか素直に飛びつけない。

流行りまくって世の中がプッシュしているものに手を出したら負け。

へぇ~、今人気なんだ?知らなかったな~(強がり)。

こんなめんどくさい育ち方をして来た私。

しかし...今回ばかりは負けてしまった。悔しい...でもっ!

 

テレビをほとんど見なくなったとは言え、ネットでもYouTubeでも何かとCMというものは飛び込んで来るもので。

相も変わらず広告はたくさん目にしているけれど、広告を見てズバリ!良いね!素敵だね!これは買いだね!というリアクションは中々ありません。

でもねぇ、YouTubeってやつは、これがやばいのです。

まず、こういう新商品的なものが出ると、みんながこぞって「食べてみた」的なやつを始めます。もうホントに、一斉に。

メーカーの正規広告を目にする機会がなかったとしても、それぞれの食べてみた動画を見なくても、というか全く見ないチャンネルだったとしても。

YouTubeのトップページ?等にずらっと並ぶサムネを見れば一目瞭然。

あ~、出たんだね。新商品。

 

そして、動画を出す側に広告の意図があるかどうかとか、食べてみた結果美味しかったかどうかなんていうのも、もはや関係ありません。

イロモノ商品でもなければ、メーカーが出す新商品なんて、基本的に「美味しそう」な仕上がりなのは決まっています。

実際がどうであれ、食べたリアクションの良し悪しに限らず、目の前で新商品を食べる姿が映る。しかもメーカー広告とは違って決して整った映像ではない雰囲気でね。

社員食堂の隣の席で、知らないひとが美味しそうなものを食べている。

隣の芝はなんとやら。

こちらも食べたくなるのが人情ってものでしょう。

なのに。

食べた人がみんな、うめぇ!うめぇ!と叫んでいる。

これはもう、食べなかったら負け。

そして、ふたを開ければこれよ。

はい、試合終了。

負けだ負け。

旨いの確定。

解散。

ってなわけでね。

食べた皆さんの言う通り。

前園さんの言う通り。

本当に、竜田揚げのクオリティがやべぇのです。

 

「ここの唐揚げがめちゃくちゃ美味しくてさ~」と噂されるご飯屋さんの必殺竜田揚げとして出て来ても納得のクオリティ。

ジューシーで、和の味付けで、衣もサクサクで。

スパイス感たっぷりのフライドチキンとは明らかに一線を画す味。

こちらのノーマル竜田バーガーの方は味付けもシンプル。

ファストフードならではのてんこ盛りジャンキー最強!な気配はなりをひそめ。

京都の老舗和食屋さんが、本店限定でテイクアウト用にサンドイッチも販売を始めたんどすえ~、と言われてもまぁ納得のクオリティ。

とはいえファストフードですから。

今回の私のように、出来立てをその場で食べることは意外とレアケース。

テイクアウトしてから時間が経ってから食べるケースが想定されるわけですよ。

揚げたての揚物なんて、もうなんだって美味しいですからね。けれども、揚げたてから時間を経過しているというのに、クオリティがそこなわれていない。

きっとそこも加味した調整で開発されているのでしょう。

 

これは良い物に出会うことが出来ました。

目の前の食べ物くらいは、流行りすたりや飛び交う広告に振り回されるくらいの方が、人生楽しいのかも知れませんね。

おや?なにやらグラコロがこちらを見ているぞ...

声に出して言いたい日本語

ありますよね。

あえて声に出して言いたくなる言葉。

声に出して、出力して、他のひとにも聴こえるように言いたい言葉。

 

この前、行きつけの蕎麦屋に行ってさ~。

 

言いたいよねぇ。

そんな軽やかなコミュニケーションを取る相手なんて居ませんが。

行きつけのお店があるんですよ。

蕎麦屋さんなんですよ。

渋いでしょ?なんか良い歳の取り方してるでしょ?

ドヤ顔で言いたい。

いやまぁ、実際はね。

「どこか外食でもして美味しい物を食べるか」という思考に至った時に候補に挙がるもの達に大分変化があったな、と。

お金とか、独りで食べに行けるのか?とかはさておき。

焼肉食べた~い。

ステーキ食べた~い。

こってりラーメンを食べた~い。

華やかなピザとかパスタを食べた~い。

という気持ち。

なくなったわけではありません。けれど、その声は大分小さくなって来たような。

自宅では食べられない味で、美味しく、お腹にたまるというよりも、口の奥底に広がる旨味に魅力を感じて...

結果、トーナメントを制する勝率として、うどんやそばが急上昇中。

老化...か。

 

 

まだありますよ。声に出して、出力して、他のひとにも聴こえるように言いたい言葉。

 

そのお店、もりそばが美味しくてさ~。いつもそれ頼んじゃうんだよ。

 

言いたいよねぇ。

やっぱそば屋だもの、そばを味わわなきゃね。

天丼とか、そういう派手な物じゃないんだよ。そばだよ、そば。

渋いでしょ?なんか良い歳の取り方してるでしょ?

ドヤ顔で言いたい。

いやまぁ、実際はね。

おそば屋さんに繰り出した結果、頂く物も大分偏って来ましてね。

かつての私は若かったのです。

せっかく外食なんだしさぁ...天ぷらとかもたっぷり付けてさぁ。

おそば屋さんはご飯ものも美味しいよねぇ。かつ丼とか最高だよねぇ。

おそばにしても、せっかくなら鴨汁とか少し変わったものを食べたいよねぇ。

もちろん、そうした物も、おそばも、とても美味しい物ですが...

天ぷらの油が、じっとり後に残る胃腸の感じ。

かつ丼のガツンと来る衝撃に、胃腸が後ずさりをする感覚。

シンプルなもりそばの優しさに甘えてしまう今日この頃。

おつゆは濃さと好みに応じて、そばに付ける加減は自由に調整出来るし。

わさび、ねぎ、七味、私のひいきのお店はうずらの卵までついて来て。

もりそばとは言え、七色の味変だって楽しめちゃう。

豪華絢爛なボリュームに勝てず、滋味深きもりそばに溺れる。

老化...か。

 

なんてお道化て書いてみたけれど。あくまでも心は「そばうめぇ!」ですからね。

哀しいことなんて何一つなく。

いま、このわたし、が食べたいと魅力を感じるものが、そばになって来たよ、というだけのお話ですから。

そば通なんかではなく、ただの私の個人的な好みとして。

あらびきなのか?ざらっとした表面と舌ざわりが好き。

おつゆによく絡むあの感じね。

コシは強めが好み。

手打ち感の出る端っこ部分なんが混ざっているとテンションUP。

おつゆはやや薄目のさっぱり系が良き。

歳を重ねた方が「自分でそばを打つ」ということに興味を持つというあるある、解る気はします。

今のところ、私はまだその境地には至っていませんがね。

 

ということで、照れ隠しの自虐を挟んだりしましたが。

結局は、ドヤ顔と共に声に出して言いたいのです。

『私、行きつけのそば屋でもりそば食べちゃうんですよぉ~。』

うざぁ...ごめんなさいね。

幸せ~ってなんだ~っけなんだ~っけ♬

幸せってなんだっけ?それはマックグリドル

 

ある日曜日のこと。

何の予定もなく。

レーニングや庭作業の類は土曜日の内に完了。

夕飯の献立は決まっていて。

もうやることがないなぁ~、という退屈な日曜日の朝。

ふと思ったんです。

あ、マックグリドル食べたいな、と。

 

好物です!と胸を張って言えるほどに、たくさん食べて来たわけでもありません。

40年以上の人生の中で、四捨五入すれば何とか二桁行くかな?くらいの回数ではありますがね。

お肉の旨味と塩気。

パンケーキの柔らかさ。

メープルのやり過ぎない甘味。

このシンプルなスリーピースバンドの三重奏を始めて体験したあの日の衝撃は...忘れはしないとは言えないくらいに古い思い出ではありますが。

まぁ、好きなんですよ。

 

時間はまだ朝の8時台。

都会に住む方の日常系YouTubeにて、休日の朝は散歩を楽しみながら朝マックを嗜むのがルーティン、という素敵な動画を拝見したことがありますが、こちらは田舎。

散歩で行ける範囲にマックなんてありません。

歩いて行った日にゃあ、行き帰りだけで半日仕事に成り兼ねませんから。

車を走らせマックへプチドライブ。

田舎だからこそ混雑が半端ないマックもさすがの朝は静かな様子で。

待ち時間ほぼ0でドライブスルーを華麗にスルー。

マックの周辺はさすがに「街」だけれども、車も道行くひともまだまばら。

冬の寒い空気感と晴れた空。

静かな街を静かに走る車。

マックグリドルを携えた帰り道。

あぁ、幸せだなぁ。

そう感じたのです。

マックグリドルを食べている瞬間ではないのです。

マックグリドルを買いに出かけた帰り道の空気感にこそ、幸せを感じたのです。

 

日曜日の朝に、暇を感じることが出来ること。それだけの時間があること。

朝マックを食べたいなぁ、というちょっとした欲求があること。

これを気軽に実現するくらいのお金はあること。

そして、朝マックを食べることが出来る健康状態であること。

自分で車を運転して、歩いては簡単に行けない場所へさっと移動出来ること。

生活する周囲の街が、基本的には平和で静かであること。

この瞬間に、少なくとも私のすぐ近くでは悲劇が起こっていないこと。

心身の健康、経済状態を含めてこれが実現されているこの瞬間。

幸せと言っても良いでしょう。

 

そんなの、普通のことでしょう?

ささやかな幸せに満足ってやつかい?ご謙遜なさっちゃって。

そう揶揄する心が無いとは言いません...けれど。

そんな普通のことが、普通ではなくなることがある。

普通のことさえ、出来なくなる時がある。

そんな時は、いつも突然に、ふらっと、残酷に訪れる。

その実感あればこそ。この穏やかな時間を生きることに、ひと握りの満足感があるのかも知れません。

 

すっかり孤独に慣れてしまって。

将来への夢も希望も、やりたいことも特になく。

引換に、漠然とした不安ばかりが山積みで。

日々の仕事だってしんどいし、嫌な事はあるけれど。

ささやかな欲望とご褒美がマックグリドルひとつではあるけれど。

悪くはない...かな。

2025年は、そう思える1年として締めくくられそうな雰囲気です。

こんな日々がこの先も、いつまでも続いてしまうのか。

こんな日々がこの先に、もう少しだけでも続いてくれるのか。

考え方次第、ですねぇ。

令和靴下失踪事件

今回ばかりは、迷宮入りかも知れない。

そんな一抹の緊張感と、諦めの空気が支配する今日この頃。

今まで様々なご家庭で、そして私の自宅でも発生して来た事件。

今回も発生してしまったのです。

 

洗濯物を干しているとね?靴下がね?片っぽだけ無いのですよ。

 

鼻で笑ってはいけません。至ってシンプルな事件だからこそ、これが迷宮入りした時の不可思議さと一抹の恐怖感は馬鹿に出来ないのですよ。

一軒家。

独身中年独り暮らし。

洗濯は常に定期的に、イレギュラーなく。

必ず選択して干される靴下はペアであり、偶数。

事件発生日の選択も同様。

2日間分の洗濯。2セットの洗濯と、庭作業をした時の+1セット。

干された靴下は5つ。そう、2セットと片っぽだけなのです。

 

私も40年以上生きて来ましたよ。長年自分で洗濯もして来ました。こういう事件の解決パターンだって、まぁ大抵は網羅しているつもりです。

洗濯カゴに取り残されている。

洗濯槽に取り残されている。

洗濯槽から取り出した際に、どこかへ飛び出している。

洗濯機~干す場所までのどこかに落ちている。

他の洗濯物に引っ掛かっている、ポケットに詰まっている。

うーん、どれでもない。

 

こたつの中から後日靴下が現れる。

どこかに脱ぎ捨ててあって、洗濯機にたどり着けなかった。

穴があいていたとかで、その場でゴミ箱へ廃棄したのを忘れていた。

なんやかんやあって、数ターン後の洗濯機から奇数の靴下が現れた。

うーん、どれでもない。

 

はて...

 

これまで、大抵は即日解決でしたよ。

捜査が難航することはあっても、まぁ何回か掃除や洗濯等を経て行く内に解決へ向かって行くものです。

これまでに未解決で迷宮入りしたことは、無かったんじゃないかなぁ?

複数人が生活しているならば、ウルトラCな可能性もあるじゃないですか。

可能性が0ではない、という意味では、同居人が捨てたり持ち出したりしている可能性だってなくはないですからね。

でも、独り暮らしですよ?

物理的に可能性が0ではない、という視点を持ちだしたら、それこそ外部からの侵入者が...的なことまで行ってしまうわけで。

 

ちょっした小物とかであれば、ウルトラCな可能性もあるじゃないですか。

「そんなところにしまうはずないのに!」という場所に入れたとか、車のシートのクッションの隙間みたいな、一旦入ってしまうと外から見えなくなる場所に入り込むとか、そういうパターンもありますからね。

でも、靴下ですよ?しかも履いた後に脱いだやつ。意図的にしまうことはないし、棚とかに入ることもないし。

どこかに落とす、見えない位置に隠れる、というパターンだって物理的に可能性は限られるし、それこそ隅から隅まで確認しているわけで。

 

いや、マジで。どこ行ったのかなぁ。

普段の靴下。長い間履いて来た靴下。なくなったとて、別に構わないけれど。

実際に物としてなくなっていたのなら?

それはそれで、物理現象として納得がいかない。

どこかに紛れて隠れているのなら?

履き終わった靴下が、普段暮らす空間に潜んでいる。

それはそれで、なんだか気持ちが悪い。

 

今年も残るところあと一か月。

この事件が解決する日は...来るのか?