ドでかい夢や希望を持ったことがある人、なんてほとんど居ないと思っている、冷めた自分。
けれども。小さな希望、小さな想い。将来どうなるのかな?こんな事出来たら良いな、こうやって生きていたいな、くらいは誰でも思うはず。
そして、例えば学校。例えば職場。身内の人間関係でもあるかもしれない。自分の前を歩いている人の背中を見て、あーいう感じにはなりたくないな。と思ったことは、誰でもあるんじゃないだろうか。
あんな上司みたいになりたくない、あんな先輩になりたくない、あんな人生を送りたくない、とか。それはつまり、「そうではない良い自分になりたい」という初志であるとも言える。
かつて抱いたそんな初志。まだあなたの内に居場所が残っていますか?
怒髪天のはじまりのブーツ。経験を重ねた人ほど、刺さる。要注意。
泥臭く熱いロックを演らせれば右に出る者はいない、皆さんご存知の怒髪天。本当に毎度毎度良い曲を繰り出してくる。
ありがちと言えばありがちな、田舎から上京して来たぜ!というストーリーを想起させるこの楽曲。
田舎生まれ田舎育ち、都会に憧れた経験なんて微塵も無く、生まれた時からソーシャルディスタンスを守ってきた自分としては、上京ストーリーというのはイマイチ共感できる部分がない。
しかし、必ずしも上京するという行為ではなくとも。生まれ育ち、それなりに馴染み、「気が付いたら用意されていた居場所」から、自分の意思で別世界に飛び込み、「自分の手で作り上げていく居場所」へ移動していくプロセスは、多くの人が体験していくはず。
そんな時に抱いた想い。初志。ファーストインプレッション。今も大事に持ち続けることは出来ていますか?
新人で飛び込んだ会社。教えてくれない先輩、助けてくれない上司。自分はそうはならないぞ!なんて思っていたのに、気が付けば忙しさに忙殺されて、自分も同じことをしてしまっている、なんて。よく有り過ぎる話。
似合わねぇ背広に併せ、適当な靴を履いてから
ここ、秀逸。
社会で生きていく限り、純度100%の自分で居られることなんてない。
似合わねぇ背広≒自分にフィットしない社会の一面に、どうしたって併せなければいけない時がある。
その中で、自分の志をさし置き、併せることを優先して雑な生き方を選んでしまう瞬間がある。誰にでも、絶対ある。
それに馴れてしまったが最後。かつて抱いた想いはそっちのけ。ただただ彷徨うように歩き出してしまう。
そして始まるギターソロ。ギターソロの時間が、ちょうど「過ぎていったある程度の時間」も演出していて、実にニクイ演出。
そして始まりのブーツ、かつて抱いていた大切な想いを掘り起こして、もう一度走り出していく。
最後の最後でドラムのリズムが表に切り替わり、小気味よく走り出すような音の演出。
歌詞も実に熱い世界が繰り広げられる中、楽曲としても、まるでドラマのような演出が散りばめられていく。
こういうところが、音楽ならではの良さと説得力の所以ですよね。
きっと、はじまりのブーツみたいな存在は、誰にでもあって。
誰だってふと油断して忘れてしまうけれど、気が付けばそばに居て、いつだって見返して、もう一度走り出すことが出来る。
多分、それは最後まで捨てることは出来ず、例え嫌がったってそこに居る。
ドラクエで言う、「それを捨てるなんてとんでもない!」のレアアイテムのようで、決して外すことの出来ない呪いの装備のようで。
それがどちらになるのかは...自分次第かぁ。