マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

エンドレス_サカナクション 終わらない連鎖の中で、さぁあなたはどうするのか?

経験を重ねた今だからこそ、見える物がある。見えてしまう物がある。

 

なんで〇〇なんだ!みんな解ってないなぁ!と思えたあの日。

あれもこれも経験し、あちらからもこちらからもお世話になった今。

そちらは〇〇...解るなぁ。こちらは△△...解るなぁ。

 

みんなの気持ちが解る。ではその上でどうするのか?

 

明日から始まる、堂々巡りな無理難題に頭を悩ましてしまう日曜日。

サカナクションのエンドレスを聴いて、あえて思考の沼にはまってみるのもまた一興かと。


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独特のセンスと雰囲気で、いつも現代の心に突き刺さるストーリーを突き刺してくるサカナクション

このエンドレスも、現代社会にただよう空気感をすぱっとそのまま切り取ったかのような、穏やかなようでいて下手に触ると傷だらけ、切れ味鋭い曲になっている。

 

比較的にストレートな歌詞で構成されたこの曲。恐らく、本来の意図はこうなんだろうなという想いはありつつも、あくまでも自分が始めに受け取ったニュアンスを書いてみようと思う。ブログだもんね。プロの批評なんかじゃないのだから。許してね。

 

 

この曲、歌詞があまりにストレートで、シンプルな言葉で襲いかかるもんだから、曲の部分の印象が薄い気がするんです。

それは曲がつまらないとか、そういうことではなくて。実際に音としての良さや盛り上がりとかも非常に大きい。のに「音自体」印象は薄い。

 

楽曲に歌詞が載るのではなく、歌詞の後ろから楽曲が押し寄せてくるイメージ。

 

この音に歌詞が載って完成している、というのと同じ感じで、この歌詞をこの音が届けてくれるから完成している、という感じ。

映像、俳優、セリフ、音楽、全部合わせて映画の印象になるように。届けられるメッセージが強くて、その一部である「音だけ」に焦点を合わせづらい感じ。

 

 

歌詞として出てくる、誰かを笑う人←を笑う人←を笑う人...を終わらせる人。

例えば、本来の意図をそっちのけで、本筋でないところで炎上するSNS

自分達が見える目の前の何かと必死に戦う、①炎上の中心地に居る人。②本筋を抱えて呆然とする当事者。③本筋を見た上で火消しをしようとする人。④ただ眺めている人。⑤それすらも知らない人。

この何ともしょーもない構図。誰もが知っている。きっと理解も出来ている。何度も繰り返して、何度もみんなが呆れている。

けれど、これがなくならない事は決してない。不思議なようで当然。だって、

 

世界中の全員が、①~⑤の誰かになるしかないのだから。

 

①~⑤の人達を想像の中で俯瞰してみる。この炎上、「飽きる」という自然鎮火以外に、解決される気がしない。

⑤や④の人はそもそもこの件に関与しない。③の人がいくら頑張っても、①の人達はそもそも本筋を見ていないのだから、本筋に興味がないのだから、意味がない。

③の人達が粛々と②の人達の力となるのがbetterとして、炎上自体は消えやしない。

 

そしてこれ、世の中の本当に多くの物事に当てはまる気がする。

 

 

ある人が大病に伏した→②。

すると「正義の味方達」が、その人を助けたいという一心で好き勝手に大暴れをした。けれどそれは必ずしも本人の幸せにはつながらなかった。「あなたのためを思って」という旗を掲げ、正義の味方達の邁進はとまらない→①。

本人の幸せを少しでも手に入れるために、必死に火消しに回る人が居た→③。

どうしたって①と③は戦うことになる。衝突もする。①が正義なら③は悪だ。ただでさえ苦しい②は、周囲が燃え上がることで更に苦しい想いをする。

 

十人十色を許容する限り、こうした不幸な状態が生まれることは阻止出来ない。しかし、ここで意外な救いだったのは、④と⑤の存在。

 

関与せずにそこに居てくれる人と、更にその外に「無関係な世界」が居てくれること。

 

 

こんな残念な構図はどうしたってなくならないこと。

けれど、自分自身もこの残念な構図のどこかに位置取るしかない、ということ。

そして、我関せずと無関係である人達も、絶対に必要であること。

 

いざ事が始まれば、自分の立ち位置は選べない事が多い。渦中で戦うしかない時もあれば、静観をするしかない時もある。

でも、どの立ち位置も必要で、どの立ち位置も関係し合って、全ての火はいずれ消えてしまうしかない。

 

ということを理解した上で、その時その時の立ち位置で、精一杯やるしかないんですよねぇ。と、少しだけ解った気になって、また月曜日を迎えていく。

エンドレス

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