マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

ニューシネマパラダイス_摩天楼オペラ あなたは、私は、どんなエンディングを迎えるのだろうか...

なんだかんだで数十年、生きさせてもらっている。

周りでも、人生のエンディングを目にすることも少なくない。自然と考える。自分はどうやってエンディングを迎えるんだろうか?

 

こんな事って、決して楽しい想像ではないし、そんなことを考えていると、どうしたって暗い気持ちになるものだけれど。少し違った感情を想起させる不思議な曲がある。

 

この感覚は賞賛?羨望?上手く言葉に出来ない。

 

摩天楼オペラニューシネマパラダイス。良質なメタルサウンドに載せて、大作映画のエンディングを見たかのような読後感をあなたに。

 

 

こちらはピアノverだけれども、貼っておきます。歌唱はご本人。


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まず、ニューシネマパラダイスという、有名な映画があるようですね。私はこの映画を知らないですし、この映画をモチーフにした曲だったりするのかも知れないけれど。その辺りは私の無知を前提で書きますので、ご承知置きを。

 

 

この摩天楼オペラは以前にもご紹介した通り。ヴィジュアル系メタルバンドである彼らは、シンフォニック寄りではあるけれど、キーボードを駆使した現代的な音像に仕上げるスタイル。

正に摩天楼を想起させるような音を紡ぐ彼らは、この曲のような現代的映画のようなサウンドとの相性はバッチリと言える。

 

この曲も違わず、オープニングからエンディングまで、壮大な展開が繰り広げられる。ヘヴィメタルならではの激しさと力強さ、摩天楼オペラならではのドラマティックな音質は、本当に映画かのように歌詞の世界を物語る。

そこに加わるのがヴォーカルの歌声。ビブラートをバリバリに聴かせた歌声は、それこそオペラや歌劇を想起させ、音楽と相重なることでいよいよ「物語感」は加速する。

 

そこで語られるのは、人生の振り返りと迎えられるエンディング。

 

 

主人公?は、まずはかつて会った誰かを想い起こしている。ずっと関係値が続いているような、とても思い出深い大切な人...というような人間関係ではない。

もう少し淡泊に、過去に少しだけ人生を共有した、あの日、あの時を過ごした誰か。

 

もう会う事はないし、とても特別な想いを抱いているわけではないかもしれない。シンプルに、あの人達はどうしているのかな?どんな人生を過ごしたのかな。

これはとても解る気がする。エンディングじゃない時だって、思うもんね。関係値が深かった人だけが、全てではないよね。

 

この歌では「ひとが居ることは怖くて嬉しい」と唄っている。誰だって、独りの寂しさと、独りではないことの不自由さの中でバランスを取っているもの。

自分が最後を迎える時、思い起こすのは誰なんだろう?「誰か」ではなくて「みんな」なような気もするけれど。

 

この歌の主人公は、なんとも正直で赤裸々だ。

自分にとって都合の良い人達で人生を築き、見苦しく、もがいて、泣いて、自分勝手で滑稽で、わがままだった人生を「否定しない」と断じている。

 

誰だってそうだよね。それで良いんだよね。みんなそうなんだもんね。

 

良い存在であること、正しくあることがまるで義務かのように言われている現代。

「良い」「正しい」の意味も定義も星の数ほどあると言うのに。自分達で、自分自身で、勝手に縛り、縛られているような雰囲気。

良いも悪いも無い。どう生きるかなんていう選択の余地だって、本当はあるように見えてないんだろう。

なるようにしかない、生きられるように生きるしかない。そして最後に振り返り、思い返して、全ての生き物と同じように、ただただ終わって行くしかない。

 

そして歌の最後の締めくくりが、何とも不思議な後味を持たせてくれる。

 

ゴールがあるのなら 両手を広げよう

私の幸せは これでおしまい

 

こんな事を最後に思えたのなら、人生勝ち確だな。

ニューシネマパラダイス

ニューシネマパラダイス

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