自分的に、好きな音楽にはいくつかのパターンがある。
①とにかく問答無用で力をくれる曲。それは楽曲だったり歌詞だったり様々。
②綺麗だったり、壮大だったり、心を奮わされる曲。
そして、
③すれ違った人がとても魅力的で、つい振り返ってしまう...時のような曲。
はぁ?知らねーよ。と思った大多数の方、ごめんなさい。
本日は10-FEETの蜃気楼。
良い曲ですよ。聴いていただければ、③の意味に共感していただける...かもしれない。
10-FEETといえば、まぁ大人気のバンドですよね。ジャンルとしてはパンク?ロック?どうなんだろう。
超大型フェスも主催するし、「売れている」と言って差し支えないでしょう。ハートフルというか、心を奮わせる系の楽曲として、Liveでは熱量というか、アツさを重視するようなイメージですね。
と言いますのも、私、10-FEET素人です。
アルバムも数枚しか持っていない。
Live映像は持っているけれど、Liveに参戦したことはない。
10-FEETガチ勢からすれば、「お前に何が解んねん?」状態。
そこで③に戻るんですが。
この曲、何となく手に入れたアルバムthreadに収録されていて、キャッチーだったりパンチのある楽曲は他にあったんだけれど、不思議とはじめに耳を奪われたのがこの曲でした。
公式でLive映像があるくらいなので、私が言うまでもなく名曲なんでしょうねぇ。
この曲を聴いた時、私の10-FEETの知識は0でした。3ピースであることも、ヴォーカルの方が声色を使い分けたりするスタイルも何も知らず。
そんな中で、爽やかな音色に載せられたこのフレーズが、私の脳をすれ違いざまに鷲掴みにし、そのまま背負い投げをされたような気分でした。
日々にすりきれて
青空が切なくて
見え透いた優しさが綺麗で
きっと、ご本人達が込めた意味があるでしょう。聴いた方々が見出した意味があるでしょう。
それと同じように、私の心の中にも瞬間的な解釈と、底知れぬ共感が生まれてしまった。私の解釈は、あくまでも私の勝手な解釈であることは解った上で。
日々に擦り切れる。この表現。来ますねぇ。もちろん、事件のような大きなこと。大きな哀しみ、苦しみもあるけれど。
色々な物が詰まった日々が流れるように自分の魂を撫でていくにつれ、自分でも何が痛いのか?何が辛いのか?解らないままに自分が擦り切れていく感覚。
そんな時でも、青空っての綺麗でねぇ。綺麗なんですよ。そこに異論はない。けれど、その綺麗さを受け止めるのが辛い。
こんなにも辛いのに。心は曇っているのに。見上げた空はあんなにも青い。気持ち良いくらいに青い。そして空は世界。世界は人々。
きっとそんなことはない...と解っては居るけれど。周りの人々は皆、青空のように爽やかに見える。まるで苦しい自分は他人事かのように。
みんなそれぞれに、それぞれの人生を背負っていることは理解できてはいるけれど。青く見えてしまうのは仕方がない。
そんな時に向けられる、見え透いた優しさ。あぁ、今優しさを向けられているな、という自覚。
もちろん悪い事ではない...けれど。とりあえず優しい人。大丈夫?と掛けられる言葉。出来ることがあれば言ってね?とか言いながら、それが社交辞令だと理解し合っている間柄。
そんな見え透いた優しさが、綺麗に見えてしまう日もある。
それだけ自分は弱っているんだろうか?
そんな優しさでも、持てる人は素晴らしいのだろうか?
そんな優しさに、本当に救われる日は来ていない...のかも知れないけれど、そうは言ってもその見え透いた言葉に、少しでも気分は良く感じているんだろうか?
みんなは優しいんだけれど、あなたには逢えない。
自分の求める物は何なんだろう。欲しい物は何なんだろう。何もかもが見えそうで、つかめそうで、けれど手に入れそうになった途端に消えてしまう。
あぁ..そういえば曲のタイトル、蜃気楼だっけな。