マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

チラシの裏_012 Arch Enemy来日するってよ

油断してました。完全に。

Twitterを眺めては居るつもり、情報にアンテナを張っているつもりだったんだけど、完全に油断していた。

最近は雑誌とかにもあまり目を通していなかったしなぁ。

というか、Live情報とかは意図して視界に入れてなかった気がする。どうせ行けないしなぁ...って。

 

Arch Enemy。一番好きなバンドは?と聴かれたとして、一生答えは出ないんだけれども、自分の中で最高バンド選手権にエントリーすることは確実な本当に大好きなバンド。

 

来日するってぇ...マジかよ。

先日、ふと田舎のCD販売店に立ち寄り、特に買うようなものもないよなぁと思いながら店内をふらついていたらこのポスターにエンカウント。

しばし時が止まったね。来日!というニュー鵜スを通り越して、いきなりこのポスターに遭遇することの衝撃。ちなみに帰り道の記憶はない。

気が付けば、チケットを取っていた。本当の本当に、葛藤の上での決断だった。

 

 

まずはちょっと暗い話を。

まだチケットを取っただけ。チケットを取ったものの色々な理由があって行けなくなることなんて普通にあるけれど。それでもチケットを取ることに不安や躊躇いは腐るほどあったわけで。それはほぼ全て、感染症に起因する。

 

①単純なリスク。

やっぱり感染症そのものに感染して、自分が損失を受けるリスクは怖い。自分の周囲にも感染した人はたくさん居る。後遺症が残った人、命をなくしてしまった人、実際に見ているからね。そりゃあ不安はある。

 

②社会性への苦慮。

自分が感染することもしんどいけど、周囲への影響も心配する。他者へ感染させてしまう不安。この頃はまだギリギリ会社に残っている可能性が高い。感染すればそれなりの多くの人達へ影響を与えてしまうだろう。良くも悪くも色々な側面があり、感染者発生という現象が与えるインパクトも小さくはなったけれどね。

 

③自分の中での勝手な葛藤。

これが一番デカい。この数年間、自分の人生で最大の苦しみを感じていた日々には感染症の影があった。

感染症があるから、それに対して自分達が考えて決断した結果、〇〇という対応をした。という場面がたくさんあって。その決断そのものが誤っていた、心底後悔した、ということは無いんだけれど。それでも思うところはたくさんある。

 

パートナーの人生が残り僅かであることがうっすら見えていた時。パートナーと共にLive(のようなイベント)へ行くかどうか悩んだことがあった。そして我々は行かない判断をした。

理由は感染症というだけではない。闘病中だったため、そもそも遠出をする体力はなかったし、本人の意思としても、行きたいようで、安静の時間が欲しいようで、という迷いもあったし。

あの時行っていればよかったね、という事にはならなかった。けれども自分の中で、もしあの時に行っていたらより良い想い出が出来たかもしれない、という想いはある。もちろん、行った事で大きな不利益が待っていたかも知れない。

そんな簡単なものではないということは、自分達が一番よく解っている。

 

そして最期の瞬間。感染症さえなければ、自分も隣に居られたであろうと思うと、なんともやるせない。

不運も重なったことではある。医療者も含めて、あまりにも予想外な展開ではあった。感染症があるから立ち入りは絶対に禁止です!のような融通の利かない対応をされたわけではない。あまりにも急に逝ってしまったし、自分がそれに間に合えなかっただけでもある。

頭ではわかってはいる。けれど。感染症に対してそんなにまで人生を削って来たのに。

 

なんだよ?お前はさらっとLiveに行くの?日常に戻るんだ?へぇ~。

 

なんていう声が、自分の声が聴こえてくる。そこに正当な理屈はないし、自分の勝手な声だというのは解っている。

 

Liveの時期にどうなっているかは解らない。感染症の動き次第では中止もあるかもしれないし、状況に応じてやっぱり行かないと判断するのもまた自分だ。

今はまだ、「Liveかよ!絶対すげぇよな!人生変わるぜぇ!」と、良い意味で馬鹿みたいにワクワクしていれば良いんだと思う。

 

 

 

で、LiveですよLive。

いつかはまた絶対に行くぞと思っていた。

Liveっていうものの素晴らしさ、人生に与えるエネルギーを知ってしまったからには、いつの日にかはあの場所に戻らざるをえない、と思っていた。

 

そのチャンスがArch Enemyってさ。2023年初頭ってさ。そこは本当予想外だった。

 

場所もZeppですよ。勝手知ったる箱ですよ。行き方の都合等も踏まえても、実に嬉しいチョイス。Arch Enemyが200人くらいの箱でLiveしてくれるはずなんかない、ということを考えれば、一番理想的な箱であるとさえ思う。

 

日本のアーティストと違って、海外アーティストはLiveに参戦出来るチャンス自体が非常に少ない。ワンマンLiveとして、ツアーでガッチリ練り上げて来た曲をじっくりたっぷり聴けるチャンスなんて、本当にレアだ。

 

本心としては、何を差し置いてでも行きたい。今このチャンスを逃せば一生後悔することになりかねない。

しかも、今となっては「人生がどこまでも続いている」なんて思い込みは夢物語だということも実感してしまっている。

 

 

恐らく、このLiveに行くころは、自分の人生の大きな岐路を迎えているはずだ。

そこでとんでもないLiveを浴びて、こんなLiveをまた見たい!まだまだこの先も生きて行きたい!と強く決意を新たにすることだろう。

溢れる熱量をもらい、大きな希望を持って、人生の新しい道へと踏み出していく春を迎える。

こんな漫画みたいな展開って、あるかね?

こうやって音楽から、世の中から受けていく恩を、何らかの形で返していくために、自分もまた世の中の一部として生きていく。

 

その先はどんな展開が待っているんだろう。久しぶりに、オラ、ワクワクして来たぞ。