今日はちょっと切ない日なんです。
大切な大切な車をね、明日手放すんですよ。
普通に乗って生活出来るのは今日でおしまい。色々理由がありましてね。たかだか車ではあるけれど、とてもとても大きなお別れなんです。
それでもまぁ、今日が終わるし、明日は来て、夜は明けてしまう。
何かが終わる日というのは、「終わった後の何か」が始まる日でもある。
納得も、心の整理も、出来やしないし、出来なくて良い。
今はただ、MUCCの明星を聴きながら、今日という人生の一幕に、ひたすら途方に暮れるしかない。
私はあくまでも音楽を音楽として受け取るだけなので、積極的にアーティストの皆さんのコメントを拾いに行ったり、あれこれと調べたりはしないので、基本的には曲を聴いての勝手な感想になるんだけれども。
この曲は、一つの終わりとそこからの次の始まりを唄っていると思うんです。
長い長い鉄板のメンバー編成があって、どうしてもその形を変えてしまうことになって。そうして一つの形が終わるけれど、形が変わった姿でまた「次」が始まって行く。
更にそれは、色々な理由はあれど、それは彼ら自身が決断したことであって。超勝手に、自分の状況と重ねるわけです。
ムックの感動曲のいつものやり口。爽やかだ!本当にイントロから爽やかで、アニメのテーマソングにも出来るほどにヒロイックというか、少年ジャンプの匂いまで漂わせる。
そうして油断するこちらのを差し置いて、そこにバシバシと心を優しくえぐりとる歌詞が叩きつけられていく。
カッコいいロックサウンド、爽やかさの裏に一滴加えられた悲しさと切なさの「音」。そこに載せられる情緒に溢れる歌詞。
正にこれぞムック!と言った感じでもう大好きな大好きな曲です。
歌詞については、もう本当に全編にわたって編み込まれているので、ここの歌詞が良いんだよ!と切り抜くのは悪手じゃろ(蟻んこ)、というものなんだけれども。
特に今響くのは、ここかなぁ。
君はきっと笑顔で 窓越しのボクも笑顔で
ごめん と ありがとう 沈む夕日
もう10年以上も前になるんだなぁ。
パートナーと出会ってね。結婚なんてしちゃってさ。車なんか買っちゃうわけよ。自分達にとってはちょっと良い車を買っちゃって。どこへ行くのもその車で。
田舎に住んでるもんだから、基本的には車移動になりまして。あちこちへ行った思い出なんていうのもいつもこの車と一緒。
子供に恵まれなかった我々にとっては、子供とは全然違うにしろ、家族みたいなものだったんですよ。
でまぁ、パートナーは旅立ってしまいましてねぇ。田舎なもんで車は一人一台。残された私に残された車は二台なわけで。今回手放す車の方が古くて、具体的に不具合箇所も出て来てるし。独りで二台の車は乗れないし、維持費だって掛かるし、今後の自分に無限の経済力も無い。
ということでのお別れです。
自分でね、決めたことなんですよ。そうなんだけれど。
人生って言うほど「自分で決断して選ぶもの」ではないと思うんです。AとBのどちらかを選ぶ場面があったとして。それが重要であるほど、自分の想い一つで決められる物ではなくて。
そこには今までの経緯があって、周囲の社会との関係性があって、経済的な理由があって。そうしたくてそうするわけではない、けれど自分で選択しなければならない場面。
この道を右へ曲がるか左へ曲がるかをその時その時に決める、というよりも。ハンドルを少し右へ切るか左へ切るかを毎秒判断し続けていくイメージ。
高速道路を車で走っている時に、一瞬の選択で新幹線に乗るなんてことは出来ないように。自分で選択していくと言えば聞こえは良いけれど。
選べる選択肢では無限ではないし、むしろどうにもできないことに溢れていて、その中から「せめてどちらを向くか」を決めなければならない。
そんなところを、ムックの活動の岐路に、その最中に発表されたこの曲に、勝手に重ねてしまう。
幸いなのは、タイトルは明星。
終わってしまう夜ではなく、その夜が明ける空に、美しく広がる明星が待っている。
これからもまた続いてく。いつか終わるその日まで。この曲にもある通り、唄って、笑って、行けたら良いな。
長年続け、そしてこちらもいずれ別れを告げる手筈の仕事を終えて、車に乗って帰路に付いた。これが最後。君と一緒に仕事に行き、帰って来るのは今日が最後。
勝手に車と意思の疎通が取れるような気なんかしちゃって。まるで話でもするような気分でいつもの道を走る。
いつまでも一緒には居られないんだ。ごめんな。
今まで本当にありがとう。あれこれも、なにもかも、楽しかったよ。
そして、夕日が沈んでいく。