人生の内に何度思っただろう。あぁ...金曜日が終わったー。
気が付けば月曜日が訪れて憂鬱になってしまうけれど、気が付けば金曜日の終わりに喜んでいる。
金曜日の夜というのはとても不思議な時間。平日の仕事の空気と、休日の遊びの空気とが入り混じる、辛さと幸せがぐるぐると混ざり合うエンペラータイム。
そんな金曜日にだからこそ、マッチする楽曲という物がある。と思う。
エレファントカシマシの数えきれないほどの名曲の中の一つ、友達がいるのさ。
これを聴くと、何だか...こう...「くぅ~」っと、胸が躍りながら締め付けられるような、正に金曜日の夜にふさわしい、不思議な感覚があなたを待っている。
東京中の 電気を消して 夜空を見上げてぇな
冒頭からこんなフレーズが放たれる。この言葉、内容だけを見ると、とってもメルヘンチックだ。
大都会東京の明かりを全て消したら、空には満点の星がきらめくだろうな、なんて。アイドルが歌ったっておかしくない。しかし、文末に「てぇな」を付けるところがエレカシのエレカシたる所以。
見上げ「てぇな」と締めくくることで、一気に漢臭いセリフに早変わり。
いつまで経っても幼さが消えない、漢という生き物、この先に続いて行く「大人の漢の物語」「少年っぽさも残る雰囲気」「友達という存在」そうした世界観に一気に引きずり込んで来る。
電車の窓に映る俺の顔 幸せでも不幸でもなかった
ここでまた我々は歌詞の世界に「自分ごと」として取り込まれて行く。自分は幸せだ!はたまた不幸だ!と胸を張って言える人はどれだけ居るだろう。
確かに恵まれていることはある。けれどもっと上が居るさ。辛い事もたくさん背負っている。けれどもっともっと辛い人が、あちこちに居ることだって解っている。
そんな日常。気が付けば自分もまた、歌の世界の中に一人ぽつんと佇んでいることに気が付く。
俺はまた出かけよう あいつらが居るから 友達がいるのさ
エレカシを知っている人であればみんな連想するであろう。「あいつら」=バンドメンバーに他ならない。
「エレカシみたいな」としか表現できない、バンドメンバーという四人の漢達の関係性。「あいつまたでっかいことやろうとしてるぜ」なんてセリフも入って。
仲間と生きて行こう。どこか出かけよう。歩いていこう。そんな毎日って最高じゃないか。何だかむず痒いような、不思議な気持ちに包まれて行く。
でもね、そんな友達も仲間も...自分には居ねぇんだわ!
とついつい我に返ってしまう自分。もしかしたら、あなたも同じことを考えたのではないか?でも心配めされるな。ライブに行けば全てが解決。
曲の後半、「歩くのはいいぜ?」という歌詞がある。ライブではこの時、ミヤジは息も切れ切れに、全力で訴えかけてくる。
歩くのは良いぜ?走ったって良いぜ?もうなんだって良いぜ?
この辺りの言葉は毎回毎回違うんだけれど。全身全霊で、必死の形相で、魂を振り絞って、世紀のロックスターが訴えかけてくるんだ。見ず知らずの自分に向かって。なんだって良いから、歩いて行こうぜ!って。友達がいるんだ!って。
もう...このロックスターも自分の最高の友達にカウントしちゃって良くないですか?
「なんてな...」
目の前で歌われる歌詞と、自分の心のぼやきとが重なり合う。
おっといけない、ついついライブの途中なのに、自分の世界に入ってしまった。
ふと息をついて周りを見る。
ステージの上には人生をかけて全てをぶつけてくる漢達が居て、自分の周りには数えきれない人が居て。その人達がみんな、今同じものを求めて集まり、同じ何かを感じて、最高の幸せの渦中にある。
あれ...どうやら自分も、独りじゃないらしいわ。