今勤めている会社には、技術の神様のような方がいらっしゃいます。
かつては定年とされた60歳をとうに、本当にとうに超えておられ、それでも会社と契約してお勤めになられている。
その技術たるや正に神様。問題があれば一目で見破り、真面目で紳士な性格からどなたからも好かれ、頼りにされ、今尚活躍されておられる。
本当に、本当に素晴らしきことだと思います。
一方で「自分にとって良い形」というのは十人十色ひとそれぞれ。自分の場合はどうかなぁ...と自然と思考が傾きます。
現実をガン無視して。私にもとてつもない価値が生まれ、皆様に好かれ、必要とされ、仕事を続けられるだけの健康も有ったとして。私は仕事を続けることを望むのかな。悩むとかではない、ただの思考としてね。
今まで色々な方を見て来たし、件の神様だってその背景の事情も知りませんが、決して万事がわーい!わーい!というわけではなさそうです。
今ですら年齢を感じ、衰えも感じ、疲労困憊な私。この先数十年後も働いているなんて。体のあちこちが悪くなりつつも、使命感を感じながら頑張る。うーん...
反面、少し前に無職期間を過ごし、五体満足と日々は暮らせる程度の貯えの中、自由でしがらみのない時間を過ごした頃。それはそれで苦しい時間でしたし、孤独も感じたし。所属や承認の欲求は、確かに私にも存在していたし。
これを解消する手立てのひとつが家族なのでしょうが、早くも先立たれてしまいましたしねぇ。
老後をどう過ごすか。
そのためにどれだけの用意をするのか。
それはつまり、どれだけのお金を工面するかということにもつながり、どれだけ「今という時間」と「自分自身」を犠牲にして明日に備えるか、という所へ行き付きます。貯金にしても、仕事にしてもね。
お金は実際に数値で現れてしまいますから。終わりのない資産の試算が四散していく今日この頃。
なんなら仕事なんてやめて、全財産使ってぱ~っと今を楽しむか?
→楽しむって何を?お金を使えば人生を楽しめるとでも思ったか?
→振り出しに戻る。
そもそも。闘病と介護と看取りを経てしまった今。
老後の心配?お前に老後があるなんて、いつから勘違いしていた?という声も聞こえて来てしまいます。
「宝くじが当たったら〇〇するんだ~」と楽しく妄想するのは素敵です。
「宝くじが当たったら資金管理どうしよう...」と毎日本気で悩んで時間と人生を浪費していくのは、さすがに愚かというものでしょう。
そうは言っても老後を考えないなんて無理だろう...と思いきや。さしもの私も「200歳まで生きた時の健康とお金の心配」はしたことがありません。
強引な発想ですが、程度の問題であるならば、老後の心配にシャッターを閉め、その心配には目をつむり、今を生きることも、出来るのかも知れません。
肩の力を抜いて。
そっと思考を止めて。
後にも先にも目を瞑って。
安らかな精神状態を保てたなら...( ˘ω˘)スヤァ
ん?( ˘ω˘)スヤァこそが行き付く結末なの?
始めから勝ちが決まっているならば、そこに闘いは必要なんだろうか?
始めから( ˘ω˘)スヤァが決まっているならば、そこに人生は必要なんだろうか?
にょろっ
バガボンド、続き読みてぇなぁ...