マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

誰かにごはん...作りたい

ごはん作りてぇ。

誰かのために、美味しいごはんを作りてぇ。

家族や恋人じゃなくたって良いですよ。

腹ペコの学生さん達とかも良いですねぇ。

普通のお客さん相手だって、良いですねぇ。

 

思えば。

私は物心ついたころから料理をしていました。

ひとつは、好きだったから。

なんとなく料理番組が好きで。子供向けのちびっ子が料理する教育テレビ、、且つての言葉を使えば3chの番組も良く見ていたし。

夕方あたりにやっていた、榊原郁恵と井森美幸のなんちゃらって番組とか、土井善春のなんちゃらって番組とか(漢字はそれぞれPC任せなので合っているか解りません)を見ていましたねぇ。

昔から記憶力の良かった私(ドヤァ...ってか、そのくらいしか長所なし...)は、かつて見たレシピを脳内再生して良い感じに再現するのが得意でした。

 

そしてもうひとつは、必要性があったから。

両親共に共働きで。父親は隔週で夜勤あり、母親はパート三昧で時には遅い時間帯の仕事(飲食店とか)もやっていたため、私が一家の台所を担っていた頃がありました。

料理番組で見て学んだレシピを実践し、母親へフィードバックしたこともありました。

姉の旦那さんが、「ここの家のカレーは美味しいですね!」と社交辞令混じりにお褒め頂いたカレーを作ったのは私だったりしました。

 

料理は好き。

けれど、その神髄は「誰かに食べてもらう事」。

美味しい!と言ってもらえれば嬉しかったのは当然ですが、何といいますか...食という生きる根源みたいな部分を、誰かの「生」を満たすことが出来るこの料理という手段を、心から楽しんで居た部分はあります。

実際に出来るなんて思わないけれど、採算とか現実性とか全く度外視して、何かひとつやりたいことがあるとしたら何?と聞かれたら、未来ある若者達にごはんを作ってあげる学食のスタッフさんだったり、どこかの寮母さんだったりするかもしれません。

結構、本気で。

 

かつて家族が居た頃は、「誰かのために」料理をよく作っていました。

幸い、評判も良く。

ここぞという時に腕を振るって美味しいものを食べてもらう快感のようなものを、ちょくちょく味わっていました。

時は流れ、家族が病に倒れ。

美味しいものを!から何とか食べられて且つ美味しいものを!に変化して。

亡くなる数日前まで、私が作ったものを口にしてもらっており。

やっぱり料理は良いな...と思うくらいには料理に心をくだいている私。

 

かつての職場の、極めて若い令和生まれのキラキラした少年のような男の子に。

料理人とかになれば良いのに。

と澄み切った目で言われたこともありました。

料理を作ることで仕事にする。

様々な仕事を渡り歩た母の姿を見ていた私は、色々な仕事の形態があることもそれなりに理解しておりまして。

例えば、病院の食堂みたいな仕事。

例えば、給食センターの仕事。

決して手取りは良いとは言えなくとも、苦し過ぎない職場環境の中で、誰かにごはんを食べてもらうという仕事はある...ということは理解しております。

そういう仕事。もちろん苦労はたくさんくあれど。もしかしたら、根本的な部分で「やりたい!」と思うことが出来るかもしれない。

それこそ、病院スタッフの方々には散々お世話になりましたし。

私自身もそういう「誰か」になりたいという気持ちもあったりなかったり。

一方で、私の「得意分野」は技術寄り、工業でのものつくり寄り、であるようで...

 

やりたいことって、なんだろうな。

生きることって、なんだろうな。

誰かの役に立つって、どういうことなんだろうな。

ぼんやりと考えては、惰性に任せて生きることを選ぶ日々。

生きていればまずは勝ち。

働いていれば、少なくとも誰かの役には立っているので勝ち。

それで良しとする...しかないよなぁ。