マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

BALATROで生き方を自らの振り返る

モンハンワイルズもエンジョイ勢としてはすっかりプレイを終え。

フリープレイで現れたアークに歓喜したものの、闊歩する恐竜達に、テイムした仲間もろともジェノサイドされまくって心が折れかけている私。

そんな私の目の前に現れた第二のフリープレイ。BALATRO。

これ、アホほどオモロイっすね。

 

語彙の拙い私では上手く説明なんて出来ないゲーム性を、ほんとに触りだけご紹介。

ポーカーをモチーフにした基本ルールです。変則ポーカー的な。

+ローグライク。プレイする度に環境は変わります。

いわゆるデッキ構築要素有り。

毎回ガラリと変わる条件の中で、運と闘いながら自分なりのデッキを組みます。

例えばツーペアのレベルを上げてめちゃくちゃ強くすることが出来たり。

52枚のトランプにハートのエースを何枚も追加したり。逆に減らしたり。

ストレートフラッシュよりも強いワンペア、なんて事が普通にあり得る世界線

指定の得点が出せなければ負け、というシンプルルール。

指定の得点はどんどん跳ね上がり、これは最早ポーカーでありポーカーではない...

 

ポーカー自体が運と隣り合わせなゲームですが、変則ルールや多彩なデッキ構築要素によって、かなり戦略的に進められるんです。

とはいえローグライクだからこその運ゲー要素も強く、その辺のバランスが実に面白いですねぇ。

これ全部運ゲーじゃねぇかクソ!ってほどでもなく。

必勝法を繰り返すだけの作業ゲーでもなく。もちろんガチ勢は除きますが...

大作ゲームをするぞぉ!という気合も要らず。

ストラテジー系のように多大な時間を溶かす必要性もさほどなく。

平日の疲れた夜でもさくっと気軽にプレイ。

負けたら負けたで「ついてないぜぇ」とぼやいて終わり。

たまーにデッキが爆跳ねしたら、脳汁放出により安眠確約。

 

先週に始めたばかりの私でも、デッキ構築がハマるとこうなります。

84万点出せば勝ち!のクリア条件に、5000万点出ましたよ、と。

まず、デッキ構築の方針を決めるような「良いカード」が現れて脳汁ドバー。

方針が当たり、上手くデッキが成長していく様にドバー。

一定のクリア条件を満たせてドバー。

エクストラステージで天井を超えた得点をたたき出して更にドバー。

脳汁なんてナンボ出しても困りませんからね。

 

個人的には「上手く行かなかった時のもがき」がまた良きなのです。

デッキの軸となる優秀なカードが来ない。ツイていない。そんなケースも往々にしてあるのですが、そんな時こそどうするか?が楽しい。

普段は試したことのない変則デッキを試してみたり。

クリアは無理そうだと感じながらも、目の前の1点を泥臭く求めてみたり。

逆に一発大逆転のわずかな可能性に全振りしてみたり。

成功も失敗も、勝ちも負けも、全ては楽しみの糧となる。

勝ち負けではなく、そのプロセスこそが本質である。

もう鉄板過ぎる考え方ですが、これは正に人生。

配られたカードで如何に戦うか?これこそが人生の本質だと思うのです。

 

ゲームという、アウトプットの重要性が著しく低いもので疑似体験することで、あらためて想い起こさせてくれます。

普通のテレビゲームならば。そのアウトプット次第で、命や健康、財産なんかに一切のダメージはありません。その場の気分の良し悪しが変わる程度です。

アウトプットがそれほどに軽~いからこそ、アウトプットには目もくれず、そこに至るプロセスを重要視することに全集中出来るのでしょう。

 

爆勝ちしたゲームも、辛勝したゲームも、無残に散ったゲームも面白かった。

ならば?

夢を追いかけて大きな物事を動かすような人生も。

愛情を育んで平和に穏やかに生き抜いていく人生も。

今日明日の生活に追われて行くような人生も。

大失敗して、辛く苦しい想いに駆られる人生も。

孤独な日々を過ごしながら、ひとかけらの喜びを拾い集めて行く人生も。

仮にそこに「得点の差」はあったとしても。

人生というプレイ体験そのものの価値に差はあるでしょうか?

そしてその得点という謎の指標に、何かの価値があるのでしょうか?

ゲームで100億点獲得!...それで?という感触と、違いはあるのでしょうか。

私の人生やあなたの人生に、優劣も〇×も存在なんてしないのではないでしょうか。

にょろっ

 

 

いやまぁ、初回のボスブラインド辺りで負けてしまうとさすがに凹みますが...