ちょっと実家に顔を出した先日のこと。両親からひしひしと感じるHELP信号を受けて、話を聴きに行ったパターン。二人暮らしの両親の間に入り、喧嘩仲裁ではないけれど、それぞれからちょっと真面目な話やら訴えやらを聴く、修行の時間でした。
どこにでもよくある、普通で、ありふれた状況です。
両親は2人暮らしで、子供たちはそれぞれ微妙に遠い場所に住んでいる。
2人はまぁ水と油。ひとの言う事を聞かない父、頑固で意外と引かない母。
どちらも歳相応に体に衰えがあり、持病があり。
老老介護的な疲れ、相入れないことの疲れ、心身の状態や先行きの不安。
御覧の通り、あるある中のあるあるです。原則として、両親は自分達の力で生きて行きたいと決意していたり、自立した子供が三人居たり、以前から手をあげるような暴力沙汰は一切無し、という時点で、むしろイージーモードにすら見えます。
人並みに親への恩は理性としては感じていますし、人並みに親のために生きるなんてゴメンだね、とも思っている私。兄や姉との難しい距離感や誰がどこまでやるのか的な駆け引きを繰り広げていることも、まぁ、あるあるでしょう。
でも...なんだろう、この胸の奥でチリチリとくすぶる怨念は。
よくあること=どうでも良いこと、ではないさ。よくあることこそ、多くのひとが直面してもどうにも出来ないものだったり、根本的で不可避な問題だったりしますからね。両親の苦悩が取るに足らない小さなこと、だとは思いません。
長年連れ添った相手とは言え他人は他人。本当の意味で心を通じ合わせることは「理屈として」は不可能であるし。どんな経緯があっても、どんな現在を生きていても、老いや体の不調、見え隠れする寿命に対する苦しみは無くなりはしないでしょう。
四苦(生老病死)なんて言うくらいですからね。苦はどうしたって苦。それは解る。
とはいえ、よ。
今の時点では配偶者も健在でさ。
自立した子供が三人も居てさ。
あれこれとありつつも、70年以上生きて来てさ。
それでも、日々の小さなあるあるで心からの苦痛を訴えて来る親の姿。
一方で苦痛を訴えられるこちらは。
今は40年程度の人生。
配偶者は既に亡き。
子供も無し。
ストレスにやられて職も辞した。
いつか自分がありがたくも70歳過ぎまで生きたとして。
配偶者も子供もおらず、社会保障はいよいよ厳しくなることが予測される。
ある側面ではより良いポジにある両親が、苦だ!苦だ!と嘆く姿を見せ付ける。
なぁ、将来への希望って何かね?
なんて考えてみれば、すかさず「お前は百倍マシだろう?」という声が、お墓の中から聴こえて来る。ような気がしてしまう。
どんよりしていく心に抵抗すべく、炎天下の中で雑草達に想いの丈をぶつけては、熱中症になりかけでぐったり。「言わんこっちゃない、無理するからだぞ?」なんて笑う声が、これまたお墓の中から聴こえて来る。と思いたい。
夏は苦手なんですよ。早く冬が来ないかな。
冬の凍るような冷たい空気は、心のモヤモヤも凍らせてくれる気がするんです。
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