私の世代としてはEテレという呼び方は今一つぴんと来ず。教育テレビ、とか3チャン、という呼び方の方がしっくり来ます。当時私の住んでいる地域では、教育テレビが3チャンネルに映っていたのですよ。懐かしいなぁ。
ちびっ子たちが何かを学んでいく、という構成で作られたEテレの番組達は、易しくて、そして何だか優しくて。大人になってからも何となく好きで、特に意味もなく流したりしています。
名前も知らない町の浄水場で働くおじさんが、「こんな事をしているんだよ~」と説明して、「そうなんだ~」と納得していく。とても易しい内容ではあるけれど、あらためて色々なことを想わせてくれたりするのです。
さてさて、私が見た番組ですが、登場するのは小学生低学年の頃合い。「合唱コンクールでどんな歌を歌おうか?」という内容の下に、数人で話し合いが行われるという流れでした。
それぞれが口頭で意見を言っていく中で、話の流れが脱線してしまう。あれ?なんでこうなったんだっけ?という所から学びがスタート。
「合唱コンクールでどんな歌を歌おうか?」というテーマに沿った意見、そうでない意見をしっかり区別して、挙がった意見のひとつひとつは「そう考えた経緯」まで確認しつつ、意見のグループ分けをしていく。この一連の作業には付箋を使います。
これ、社会人研修であるある過ぎる、典型的なグループワークやないか!
議論、話し合い、打ち合わせ。わいがや、ブレスト。色々な言葉で修飾されつつも、結局は複数人で何かを決めて行くというプロセス、どこにでもありますよね。
これが上手く行かない、機能しない、という場面の多いこと多いこと。番組の内容はとても易しいものでしたが、我々大人こそ、こうした基本や本質は、忘れてはいけないよなぁ...と頷くばかりなのでした。
古い古い記憶を辿ってみると、こういう内容の番組は昔は無かった気がします。学校でもこうした内容を「授業として」学ぶ機会はなかったような。
今はどうなんでしょうね?Eテレでこんな番組をやっていたのだから、学校教育では今や普通の風景なのかも知れません。
いよいよ私も「年寄りグループ」に入って行こうかというお年頃。ついつい「自分の生きて来た尺度」で「今現在の世の中」を眺めてしまいます。
Eテレの内容が変わったように、教育の内容も変わって行く。自分とは違う物を学んで、違うことを感じた人々が作って行く社会は、自分にとって「何か違う」のは当然なんだよなぁ。
自分より大幅に世代が上の方々と話す時に感じる、「そうは言うけどさぁ...」という感覚や前提のズレ。私自身も着々と、「現代」からのズレを蓄積して行っているのでしょう。
田舎に住む無職中年がEテレを眺め、ちびっ子達とはまた違う、ナニモノカを学んでいく初夏の朝。
Eテレ、いや、教育テレビ、やっぱり良いなぁ!
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