大型連休も遂に終盤。地獄の時間が来ようとしております。
幸せいっぱい夢いっぱい!なんて言うにはほど遠い日々ではありますが、エルデンリング様のおかげてそれなりに楽しく過ごせたこの連休も、遂には終わりが見えて来る。
以前から述べておりますが、マイナス思考全開の私はこう考えます。
週末も、連休も、本当にあっという間に終わってしまう。
「良い時間」はあっという間に終わりの時が来てしまうものだ...
そう、こうやって人生すらも、終わりの時が来てしまうのだな...
しかし私も人生のハーフタイムを終える頃。色々な考え方も持ち始めます。
連休の終わりが辛いのは、連休が自分にとって「良きもの」である証拠ならば。
人生の終わりが辛いのは、人生が自分にとって「良きもの」である証拠なのか。
そうか。クソみたいとか言いつつも、本心はそういうことなんだな。
そして、連休の終わりの過ごし方は、やがて来る人生の終わりの過ごし方に通じるものがあるのではないか、とね。
色々な情報に触れたり、実際に終わり行く様を見ながら感じたんです。
暖かい気持ちで振り返ったり、感謝を持ったり。
絶望したり、悲しみに暮れてどうにもならなくなったり。
それは性格や人間性によったり、時間やタイミングによったり、その日の体調によったり、本音と理性とが入り混じりながら、その「色々な感情全部盛りフルコース」が真実なんだろうな、と。
悟ったように感謝して締めくくる気持ちもある...けれどそれが全てではなく。
嫌だ嫌だと嘆きながら世の中を恨む時もある...けれどそれが全てでもなく。
周りに心配を掛けまいと、強がって理性を保つような瞬間もきっと必要で。
ただただ苦しみや悲しみに浸るような瞬間もきっと必要で。
それはまるで、この連休の終わりと同じ。規模も程度も段違いではあるけれど。
楽しい時間もあったな、良い時間だったな。と反芻する気持ちもあるし。
仕事が始まるなんて考えられねぇ...という絶望する気持ちもある。
RGBが入り混じる無段階色彩ゾーンの中で、創り出される自分なりの色と付き合いながら折り合いを付けて行く。
いつか来るその時のために、そんな訓練を重ねて行こうではありませんか。
たった一度きりの「終わりの時」。どうせなら自分にとっても周囲にとっても、より良きものでありたいものですから。
そう思うほどに。かつて私に魅せ付けられた終わり方は、もちろん辛く哀しくありつつも、どこか凛々しく格好の良い姿だったのでしょう。
ま、そもそも「終わりを覚悟出来るような終わり方」を迎えるとも限らないのですがね。多く見積もっても、そんなケースは半分あるかないかでしょうか。
考えるだけ無駄なのかも知れません。
難しく考え過ぎず。単純に、連休の終わりをも楽しんで行けたら良いな。
さぁさぁ、エルデンリングやりましょ。
ゲームも人生も、エンディングはまだまだ先のことだと油断しながら楽しみましょう。
遺跡の大剣を振り回して脳汁が出ている瞬間は、幸せだもんね。