マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

推しが去って行く喪失感

今、ここ数か月で、一番の驚きを感じています。

私には幾つもの「推し」が存在しますが、その中でもやや変わった「推し」が居てくれました。

 

面識のある友人知人、直接的なつながりのある方ではない。

自分が関わる業界の偉人、というわけでもない。まったく別の業界の方。

芸能人やアーティスト、youtuberのような、そういう存在でもない。

専門的なお仕事をなさっている方であり、SNSでの発信もされており、書籍も多く著されており、お仕事の延長線上として、イベントやメディアで時折登場する事はある。

 

もちろん、専門的なお仕事に対しての圧倒的なリスペクトがありながら、それを交えた価値観、物の見方、人間性、シンプルな面白さ等々。色々な物に感銘を受けておりました。

SNSを見てくすっとして。書籍を読んでなるほどな~!と膝を打ち。物事の考え方に触れては、自分との共通点も見出しながら、うんうんと頷く。毎日更新されていたブログも、畑違いの私も欠かさず読んでおりました。

 

ここ最近、というか半年くらい。私の生活リズムの変化もあって、仕事に手を付ける前に必ず読んでいたブログを見る機会も減り。SNS自体を見る機会も減る中で、最近見かけない...かも?と思ったりしていた今日この頃。

 

久しぶりにブログを除くと、一部活動(?)終了のお知らせがあるではありませんか!

 

別に芸能活動をされているわけではありませんから。

今まで通り、専門のお仕事を粛々とこなし、人生を歩まれることでしょう。

少々の軌道修正をするだけのことです。

それでも、これまでの活動っぷりを見ていた身として、直近の様子からあれこれを感じ取っていた身としては、「う~ん...」と喪失感を感じてしまうのです。

 

自分の中で、勝手に神格化していた部分があったのだと思います。

この人は〇〇で居てくれる!

いつも頑張ってバリバリと進んで行く姿を魅せてくれる!

多くの苦難を抱えつつも、いつまでも灯台のように行先を照らしてくれる。

なんともまぁ、こちらの勝手な都合ですよね。

 

推していた活動者が、諸事情のために姿を消して行ってしまう、その悲しみに暮れる姿という物を、これまでは他人事のように眺めていましたが...そうか、こういう気持ちなのか。

 

推しがくれた物は消えはせず。

輝いていた時間は色褪せず。

けれども時間は流れ、季節は変わり、物事は区切りを迎えて行く。

当然のこと。当然のこと...なんだけど...なぁ。

 

居なくなる寂しさとか、そういう物もあるのだけれど。まるで空想の人物のように思っていたあの超人も、当然のように人間であるが故、疲労もするし、苦しみもする。

いわんや、弱きちっぽけな自分をや、ですよ。凄い人だってしんどさはあるんだ。果たして自分なんて存在が、やっていけるのだろうか...と謎のマイナス思考スパイラルへとこんにちわ。

 

心にぽっかりと穴があいてしまったようなこの感覚。どうしたもんかなぁ...