解ってはいた。解ってはいたんだけど...しんどいっすなぁ。
この先、もう少し生きて行くために。何かしらの道へと進んで行かなければならない。頑張らなければいけない。しんどい事も、少なからず我慢しなければならない。
この道なら、行けるかもしれない。
この道なら、少しは楽しいかもしれない。
そう思いながら、more betterを探して行くのは基本なんだけれども。
振り返れば、超えられない過去が仁王立ちしてこちらを見ているのです。
例えば収入の面では、過去を超えることは不可能でしょう。
例えばプライベートの幸せの面でも、過去を超えることは不可能でしょう。
それだけ、恵まれていたということなんでしょう。
それを失ってしまった不条理と、掴む手を握り切れなかった過去の自分の不甲斐なさに、嗚咽が止まらない夜を迎えてしまうのもまた、仕方が無い。
歳を重ねれば老いもあり、健康だって害して行くわけで。誰だって、色々な物を手放して行かざるをえない。それが人生の後半戦という物です。
解決策はひとつ。新しい価値判断のものさしを育てて行くしかないですよね。
これは失ったけれど、今度はこれを手に入れたぞ。
あれは出来なくなったけど、こんな楽しみも見つけたぞ。
過去や将来を見過ぎず、今この瞬間を見渡して、光る物を見付けて行く。肩の力を抜いて、今日の景色を眺めようよ、ということなのに。逆に「素敵な物を見い出して行かなくては!」と力んでしまう。緊張感が全身を包んで行くこの感触。
ふと振り返り、こちらを眺めている過去の自分。
ついつい、「どうだ!今の自分だってこれだけ楽しいもんね!」と言い返したくなってしまう。それが出来なければ、選んだ道が失敗だったと判定されてしまいそうで。
ここからは、メインシナリオのエンディングを終えたエンドコンテンツだ!なんて言ってみたところで、やっぱり幸せになりたいんだよな、自分。
「そっちも良さそうだねぇ。まぁまぁ、こっちの風も気持ち良いよ」と。
力まずに、強がらずに、穏やかに眺められるように。
それが目指すべき到達点だ。
うん、再確認、再確認。
そのためには...そうだな。今日に対する解像度をもっと上げて行きたいな。
ごはんをもっと味わって。睡眠にもっとこだわって。
彩りが変わっていく世の中を、もうちょっと丁寧に見てみよう。
もう少しだけ、自分を甘やかして行こう。
グラコロ食べよう。