マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

チラシの裏027_自分で書いた記事って、読み返しますか?

突然ですが、ブログを書いている皆さん、ご自身で書いた記事って、読み返したりしますか?決して意識高い系ではなく、超絶くそド素人の素朴な感想回になっております。

 

私、読み返すんですよ。面白いから。

 

ごめんなさいごめんなさい、帰らないでください。説明させてください。自分の記事が読んで面白いものだ!なんてイタイ発言ではなくてですね。自分で書いたものを後から読み返すっていう行為が、趣き深いものですね、ということなんです。

 

 

まずひとつ目。あー、自分はこういうことを考えているんだな、考えていたんだな、と俯瞰が出来るんですねぇ、こんなにも。日記とかブログをしっかりと書き続けたことなんてなかったので、今更ながらに驚いております。

自分のことは自分にしか解らない、自分のことは自分が一番解っている。ホントだろうか?そもそも自分の外見は、自分以外からしか見えないし。鏡や映像を駆使したって、「間接的に」見ているに過ぎないし。自分の体の中で自分の目で一度も見たことがない部分、死角、普通にありますよね。体でさえそうなんだから、脳内や考えなんて、言わずもがな。

 

何気なく言ってしまう口癖、仕草の癖、ついついやってしまいがちなこと、良い所、悪い所。他者から見ることで初めてわかること、指摘されて気が付くこと。自分ではそうは思わないんだけれども、どうも世間一般から見ると「どうやらそうらしい」ということ。たくさんあると思うんです。

 

これが不思議と、自分が書いてから時間が経った後の文章を読むことで、少しだけ他人事として眺めることが出来る気がして。俯瞰して感じろ、客観的に思考しろ、なんて言われるけれども、まぁそんなことは無理なわけで。少しでもそれが出来るのが、自分がアウトプットしたものを冷めた頃に眺める、ということなんだろうな。

音楽を創ったり、映像や言葉を話すことで表現したり。何らかの形で脳内から取り出した物であれば、多少なりとも客観的に見られるような気もします。

 

そして二つ目に、それを眺めても、ひとっつも伝わんねぇ...

 

一応はこうして文章を書き続けられるくらいには、書くことは苦でない者が、自由な環境の中で自由に時間を使って、自分が好きだと思う物について書いているのに。文章を読んでも、表現したかった物の1割も伝わってこない。

 

そりゃあ、文章のプロではないですから。才能も訓練もしていない人が曲を作って誰かに何かを伝えるのが難しいように。文章にしたからって伝わると思うなよ?というのは当然のこととして。シンプルに、自分の言いたいことなんてのは、本当に相手に伝わらないんだよな、という事実の再確認。

 

友人知人関係のコミニュケーションから、仕事のような難解な物事を伝えて説得して共有する作業まで。実感として解っては居たんだけれども、やっぱり難しいんだよな、ということを噛み締めました。

自分の記事を自分で読むんだから、発信と受信が同一人物。つまり人間的な相性とか、前提となる知識レベルとか、そういう条件はほぼベストなのに。それでも伝わらない。面白いほどに伝わらない。

 

これまで自分が誰かに投げかけていた物は、やはりほとんど伝わっていなかったんだ、ということはまだ良い。ちゃんと覚悟も出来ている。けれど。

 

自分がこれまで受け取っていた「つもり」で居た物も、果たしてどれだけ正しいのか。

 

あの日、あの時に受け取った物。大切な感情、想い出、誰かの意思。それは正しい真意をくみ取れてのだろうか。解んねぇ奴だな...と呆れられながら、裸の王様になっていなかっただろうか。なんでみんな解らないんだろうな?と首をかしげながら、自分もまた、何一つ解っちゃいなかったのではないか。

 

答えは出ない。解決も出来ない。むしろ分かり合えないからこそ、人と人との社会は成り立っているんだろうとも思う。全てひとつになってしまったら、セカンドインパクトだもの。

自分は解ってはいないんだ、と自戒しながら進むしかない。こんなこと、遥か太古の昔の哲学者が既に結論を出しているんだよなぁ。すげぇよなぁ。