マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

チラシの裏026_やつの...やつの足音が聴こえる....

最近、体のあちこちにね、不調の兆しが見えて来ているんですよ。初めはちょっとした不調から始まるんだけれども、少しずつあちらこちらへの不調へとつながって行って、症状がひどくなれば薬が手放せなくなってしまう。

そうなれば薬の副作用だって気になって来るし。屋外に外出することさえ自粛することを余儀なくされてしまう。今まで幾千人の人々を苦しめて来たであろう...

 

そう、スギ花粉。

 

こうして書くと、花粉症かよー、ズコー!って感じてしまうけれども。実際問題やばいっすよね、花粉。

確かに、命そのものを奪うことはないかも知れない。けれど、QOLはとんでもなく下げられるし、日常的にとんでもない諸症状が出て来るし。マスクだって必須だし、色々な薬やら何やらが使われることで市場規模も莫大。

 

もう、いつもそこにある現象だから何となく受け入れているけれど、冷静に考えればそのデメリットはえげつない。

花粉症という概念を忘れて症状だけに着目してさ。

世の中の本当に多くの人に、

一定の季節になるとほぼ確で症状が出て、

涙が流れ、

目がひたすらにかゆくなり、

鼻水を垂らし、

くしゃみが止まらなくなり、

対策なしでは外出すらままならない。

もうこれ、もはや呪いだよね?

 

なのに、昨今世界に猛威を振るっている感染症と花粉症を比較したら、どうしたって感染症に軍配が上がるだろう。なんの軍配だか知らんけど。どちらも苦しんでいる人はとてつもなく苦しんでいるんだけれど、何だかおざなりになってしまうというか、無視されがちというか。

 

こういうことが、色々なところにあるよなぁ、なんて思うんです。

そういう物だから。

昔からそうなっているから。

みんながそうなんだから。

そんな理由で、仕方がない。我慢するしかない。そこに文句言う方が甘え、みたいな概念というかね。

 

月~金、朝から晩まで決まった時間に働くこと。

会社組織に所属して、上司とかいうよく解らん存在に付き従うこと。

周りの空気は読んで、みんなに同調して、自分の気持ちは抑えること。

健康に気を配り、少しでも長生きすること。

老後が心配ないくらいにお金をたくさん持つことが勝ち組であること。

自分の望みを多くかなえて、幸せに生きること。

 

どれもこれも、決して悪いことではない。一定の利便性や効率、そう有った方が望ましい、仕組みとしてそうである方が良い、という面があるのは確かだし、多様性だなんだと言って、それだけが正解だ、なんて時代でもなくなって来ているけれどさ。

 

理屈で行けば、何が正しいか(というか望ましいか)。

それがどれだけ困難で、理屈通りに行かないものか。

そうした建前がなければ、人が社会として継続していけないこと。

義務と権利と自身のはざまで、自分はどんな生き方を選んでいくのか。

 

 

寒さは厳しくなりつつも、冬の終わりの面影が少しずつ見え始めた日。風に乗ってやって来た花粉に鼻先をくすぐられ、派手なくしゃみを一発かました昼下がり。くそー花粉め!と憎しみに溢れた心の隣で、そんなことが脳裏に一瞬浮かんだのでした。

 

つまりはきっと、日頃からそんなことばっかり考えているんだろうな。四十にして惑わず、なんて言うように。自分の道は~...これだぁ~!なんて、宣言出来るくらいに振り切れたら、楽なんだけどね。

 

ドラッグストアの棚の前。

絶対、速めにこの薬を飲み続けた方が生活は楽になる、と解っているのに。

1日あたり138円...だとかいう表示を見て、二の足を踏む。

もったいねぇ...と小一時間悩む。

結果、微妙に安い薬を買って、実に中途半端な道を行く。

それはきっと正しくはない、と解っているのに。

ちっちぇ...ちっちぇよ...自分。