昨日。地獄の草刈り大作戦を展開しまして。
まだまだ元気に茂る残草勢力とは裏腹に、筋トレと朝晩2回の草刈りムーブでHPが1になった中年の私。本日は大人しく自炊しながらぐーたら過ごしております。
しばらくプレイしていたゲームも飽きてしまい、買い物等も昨日に済ませてしまった孤独な中年のやることなんて、YouTubeの垂れ流しくらいのもの(問題発言)。
関連する動画が自動再生されていく設定でYouTubeを流し続け、ちょっと掃除したり、ごろごろしたり。ごはん食べたり、ごろごろしたり。本当に延々とYouTubeばかり眺める時間。
本日YouTubeのアルゴリズムが連続でおススメして来るのは、いわゆる良い話系。
そういうスレが2chとかにあるんでしょう。良い話的経験談をYouTube化したもの。
日本が昔~今に至るまでに何かしらやり遂げたような話。
海外スターが来日して良い環境に感動したり、食べ物に舌鼓を打つ話。
へぇ~そういうことも有ったのか、と感心したり。
登場人物、聖人過ぎんか?と思いながらほろりと来たり。
確かに...よく食べるあれもこれも悪魔的旨さだよな、とお腹が空いてしまったり。
それなりに楽しんでおります。
とはいえこちらも中年。
色々な「良い話」をそうそう素直に受け入れられないくらいには枯れております。
盛ってないか?その話。というか創作では?
そんなに良い人ばっかじゃないよ、悪い人だっているよ。自分も含めて。
たまたま良い面を見ただけでしょ~。世の中そんな良い話ばかりでは...
という穿った見方もしてしまうけれども。
それでもまぁ、全てかフェイクということはあり得ないのだし、たまたまでも、レアケースであっても、素敵な物語はそこに在ったわけで。
襟を正すような、背筋が伸びるような。そんな気持ちがあるのも事実。
全力全身!頑張りまくれよ私!なんていうエネルギーは湧いてこないけれど。
幸せも有ったとは言え、満身創痍でボロボロになりながら頑張っていたあの頃にも、ちょっとは芯というか、良い要素としての「我執」が有ったよな。
もう120%の力が出せないのだとしても。50%くらいのエネルギーで世の中と向き合うのだとしても。
一生懸命に、誠実に50%の力を出して行く姿勢って、大事かも知れないな。
なんて思うのでした。
私のアウトプットが客観的に見えたとして、見えるのは10とか20とかの絶対値であって、それが私の何%の力か?なんて私を含めた誰にも解らないんだし。
誰にも解らないものを気にしたってしょーがない。
自分にどれだけの事が出来るのか、そこを意識したって意味がない気がして来た。
それよりも、一生懸命に、誠実に生きて見ようかな。
今までも、そうして来たつもりだけどね。