マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

チラシの裏_019 おにぎりが~食~べたいんだな

今日は、本当にしょーもない話です。まぁ良いよね、雑記だもの(©みつを)。

 

おにぎりが食べたいの。誰かが自分に握ってくれたやつ。

 

もちろん、誰かれ構わずってわけじゃないんですよ。完全な他人、例えば仕事として作ってくれる人とかは気にならないんだけれど、中途半端な「自分が知っている人」が握ったおにぎりは、相手によって抵抗がある...という派です。

 

先日、おにぎりを作る機会がありましてね。イベントだ!お弁当だ!なんて特別なものではなく、ごはんがちょっと余ったので翌日の朝ごはんにしましょう、簡単に食べられるようにおにぎりにしておこう、という動機。

市販の昆布の佃煮を突っ込んで、いつ誰に頂いたか解らない賞味期限はギリギリの焼きのりで巻いて、ラップに包んではい完成。普通に翌日に自分で食べて、普通に美味しかったおにぎり。

独り暮らしでは焼きのりなんて中々食べる機会がないし、おにぎりだって久しぶり。そんなおにぎりをもしゃもしゃと頬張りながらふと思う。

 

あれ?この先の人生、誰かが握ってくれたおにぎりを食べる機会...あるか?

 

多分、無いと思うんですよ。

これまでの人生だって、親が握ってくれたか、いわゆる「恋人ポジ」の人が握ってくれたかのどちらかだった。親は...色んな意味でそんな機会はもうないだろうし、もはやちょっと「握ってもらうのは嫌」な側でもある。この先に「恋人ポジ」が爆誕するようなイメージは湧かない。

「恋人ポジ」は要らないんだけれど、誰かが握ってくれたおにぎりは食べたいなぁ...というどうでも良い渇望が生まれてしまったんです。

 

味としては、そりゃあいくらでも手に入るんですよ。スーパーに行けばちゃんと海苔がしんなりしたおにぎりは売っているし、おにぎりプロの人が握ったおにぎり専門店だってあるし。

でもなんか違うんだよなぁ。握ってくれた愛情がどうとか、そういうのは一切なくて。シンプルに「食べ物」としての魅力して、あるんだよなぁ。「ご家庭のカレー」が外では絶対に食べられない感覚?

 

 

なんかそういうサービス無いかなぁ。誰かも解らない人がおにぎり作るなんてハードル高いし、お店と変わらない気もするし、「完全な他人」と「知人」の間を埋める絶妙なバランスというか。売られている野菜に「私が作りました」みたいな顔写真が載っている感じのような...信頼が出来る「プロ一般人」みたいな人がおにぎりとかカレーを提供するような...

イメージは固まらないけれど、そういったサービスってニッチな需要に刺さったりしないかなー、何なら自分でそういうサービスを立ち上げたり...

 

モルダー、あなた疲れてるのよ。寝ましょう寝ましょう。温かくしてね。