マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

あなたのやさしさをオレは何に例えよう_エレファントカシマシ 優しく「生き方」を揺さぶられる感触

今日ね?健康診断だったんですよ。いい歳ですからね、それなりにガッツリとした健診を受けてまいりました。

健康診断という行為自体はまぁ、別に何がどうっていうことはないんだけれども。何となく、ぼんやりと、ずっしりと、重くのしかかる想いがある。

帰り道に車から流れるランダムの楽曲。そして始まるこの曲は、自らの心の内を炙り出すように、様々な想いを浮き彫りに、形作って行く。

 

あなたのやさしさをオレは何に例えよう?

 

曲のタイトルそのまま、エレファントカシマシの名曲です。ホントに...もう、エレカシっていう存在は、何度自分の魂をぶん殴って来たか、数えきれないっすよ。

音楽だけではなく、小説も、漫画も、あらゆる物事には「作成者の意図」があり、本筋があるわけだけれども。受け取った我々には千差万別のバックボーンがあり、受信側の勝手な解釈、チューニングによって様々な影響力が生まれていく。

面白い構図だなぁ、と思う反面怖い部分もあったり。コミニュケーションってそういうものだけれども。「あなたが好きだー」と言葉を放ったとしても「嘘だね、バカにしやがって」という受け取る可能性もあるわけで。極論ね。

この曲もまた、私の自分勝手な想いによって、自分勝手に自分の「生き方」を揺さぶって行くことになるんです。

 

 

この曲、楽曲としての雰囲気はpopsですよ。

やや優しく穏やかで、歌のメロディが牽引していくスタイル。しかし、ゆっくりと、淡々と、語られて行く歌詞のえぐさと来たら無い。

 

敗北と死に至る道が、生活ならば...

 

おいおいミヤジ。爽やかな音に載せてなんてことを言いやがる。

この言葉、皆さんはどう受け取るだろうか。本当に千差万別だとは思うんです。挫折や失敗と受け取る人もいるでしょう。勝ち負けだったり、どうせ最後は死んでしまうのならば、ということだったり。

 

けれど私の近年の経験は自分勝手に、とてもとてもえぐい、そのままの解釈をしてしまうのです。

愛する者が病に倒れ、命掛けの闘病で生きながらえ、けれども終わりを待つしかできないという状態に陥った日々の生活。正に、「敗北と死に至る道」をただ進むだけの日々が形作る「生活」。地獄の日々。

こんな地獄を思い出させる言葉の次に出て来る歌詞は?

 

あなたのやさしさを、オレは何に例えよう

 

いやホントね。どうしようかね。そんな地獄の日々だけれども、そこには確かな幸せだってあったんだよね。自分で言うのもおこがましいけれども、お互いに想い合って、支え合って、二人の世界はやさしさに包まれていた。

お互いにこんなにも苦しいのに、地獄なのに。自然と湧いて来るお互いのやさしさに甘えていた気もする。

自分自身も含めて、みんなが「敗北と死に至る道」を歩いているのは間違いない。それが生活であることも。そしてその事実を喉元に突き付けられていたあの地獄の日々でさえ、幸せはあったし、やさしさもあった。その生活に、とてつもない価値があった。

 

愛する力を求め続ける勇気を 本当の姿を見付ける旅に出よう

 

もうこうなってしまうと、完全に自らの内なる世界を彷徨いだす。

ここで言う、自分が感じる愛する力っていうのは、特定の人間ではなくて。自分を取り巻く周りの人達だったり、世の中だったり。自分が好きだと思う、音楽のような概念であったり、自分の生き方や人生、はたまた自分自身であったり。

 

この先にやるべきことはなんだろうか。

あの日々を包んでいた「やさしさ」を、何かに例えて、誰かに、世の中に伝えることは出来るだろうか。辛い思いを経ても尚、この世はサイコー!と言いながら、自分や誰かに幸せな想いをお裾分けし続けることは出来るだろうか。

 

 

そんなことを思いながら帰宅する。ただいまを言う相手も居ない。

いやー健康診断でさー、採決が若い男の子だったんだよー。馴れてないのかな?途中で針が抜けそうになって空気が入って、瓶?の中で血がちょっと飛び散ってさー。その人が慌てちゃって、大丈夫ですか?大丈夫ですか?って。初々しいよねぇ、頑張って欲しいよね~。

なんてエピソードトークをする相手も居ない...からここに書いちゃった。てへっ。

 

動物でも飼おうかな...