マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

チラシの裏_024 暮らしを楽しむ、という生き方

最近、「暮らし」というキーワードに強く惹かれるんですよ。昔からそういう癖はあったんだけれども、人々がどんな暮らしをしているか、に強い興味があるんです。

 

旅行に行けば、その土地の人々はどう暮らしているのかな?と想いを馳せる。

歴史を紐解けば、その時代の人々はどう暮らしているのかな?と想像する。

海外に目を向ければ、そこでどんな日常が繰り広げられているかを知りたくなる。

 

暮らしって独特の雰囲気というか、空気を纏っていますよね。文化ともまた違う。日々の日常、どんな食べ物があって、どんな調理をして食べているか。生活の周りにはどんな動物達が居るのか。毎日どんな風景を見ているのか。

 

近頃はYouTubeで、地名を聴いてもどこなんだか全然解らない、世界のどこかの暮らしぶりを、淡々と流している動画をひたすらに見続けています。

そりゃあYouTube動画としてある程度パッケージされている、ということは理解しているけれど。解説も、字幕も、ナレーションも、音楽も無いこの手の動画は非常に面白く感じて。

へーそんな野菜があるんだ。こんな食べ方するんだね。電気は有っても熱源は薪なのか。おーそっちは電気オーブン使うんかい。猫はそっちも同じ見た目の猫なんだねー。とか。

 

 

翻りまして。自分の今後を考える時に、「暮らし」を楽しみにしているな、ということに気が付いた。お金の使い方はこうしよう、生活費はこれくらいで収めて行こう。畑では手間、味、収量を考えてこの辺の野菜を作ろうかな。トレーニングはこんな感じのメニューにして、栄養はこんな感じで獲って行こう。

凄い普通のことだよね。大きなイベントがどうこうでもなく、何かを成し遂げるということでもなく。みんなが普通にやっていること。けれどあまり意識せずにやっていることではないだろうか。

 

自分がそうだった。幼い頃はもう、生活を与えられているだけだったし、社会人になってからは仕事に人生のイベントに精一杯。何か美味しいものを食べる!ということに意識を向けることはあっても、日々食べていく物にはあまり意識を向けていなかった。

仕事を頑張って行くために、生活は二の次というか、不随してくるおまけ扱いというか。生活するために仕事をするのに、仕事をするために生活をしてしまうという状況。

仕事に情熱を注ぐのであれば、それも悪いことではないけれど。少なくとも今はそういう状況ではなくなってしまうわけで。ならば生活に情熱を注ぎたい!

 

いや、ホントにすげー普通のことだな。でも、今の自分を支えている幸せだったころの思い出は、なんのことはない、普通の日々の記憶なんですよねぇ。どこへ行った、何を食べた、というイベントも素敵だけれども。話す相手が居て、同じ物を食べて、一緒に何かを楽しむことが出来た、あの超絶幸せな日々。

 

さて、アゼルバイジャンの朝飯でも見るか...(さすがに毎朝こんなに食わんやろー)

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