マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

チラシの裏_022 武道館ライブ:企業戦士が羽を休める場所

新年あけて今は1月。目下生きる目的であり、意味であり、数年ぶりのドキドキとワクワクを抱いているArch Enemyのライブが3月3日。暦の上では再来月、ということになる。けれども、2月は28日しかないよね?そう考えると、もはや3月3日は来月のイベントだと言っても良いだろう(暴論)。

どうしたってライブに想いを馳せてしまう。そしてこれまでのライブの記憶に想いを馳せてしまう。今日は、とある武道館ライブで目にした企業戦士の姿を想い出していた。

 

実際の出来事ではありますが、ほぼ全て私の勝手な妄想であることから、ある種のフィクションなのかもしれない...

 

 

 

あれは4月だったかな。

季節として華やかで良い季節だけれども。仕事や業務としては4月というのは中々にハードだ。多くの場合、期が変わり、環境が変わり、新しいあれやこれやがどんどんと始まって行く季節。それに対してウキウキする人も居るだろうけれど、まぁしんどい時期だというのが個人的な見解。

 

武道館は色々なアーティストのライブでお世話になっている。あーいうイベント会場全てに言えるけれど、客席はまぁ狭い。前後も左右もぴっちぴちで、隣の席の方とは正に「袖振り合う」関係。スタンディングの後方が好きな自分としては、座席指定の方が人と人との密着が強いまである。

肉体の距離は心の距離だ。当然付近の話声は自然と聴こえてくるし、動きやしぐさも目に入る。その姿が発するオーラも感じてしまうものだ。

 

歳の頃合いは、40~50歳と言ったところだろうか。貫禄のある着こなされたスーツ姿とその背中。せわしなくスマホを操作する姿は、ライブ前にワクワクしながらSNS等をチェックするそれとは明らかに異なっていた。その姿は、出先で業務のメールチェックに追われるそれであった(勝手に、解りますよ~と親近感が湧いたよね)。

そんな彼は開場後しばらくしてから、どちらかといえば開演直前に滑り込んで来た。金曜日のライブであったので、開演は19:00頃だったはずだ。この時間にスーツ姿で駆けつける。ここは武道館という東京のど真ん中だ。大都会でバリバリに働くビジネスマンが、仕事終わりに駆けつけたのであろう。

 

田舎の山の中を勤務地としている私から見れば、都内の中心地で働いている方々は、無条件でスーパーエリートだ(偏見)。仕事盛りの歳頃、忙しい4月にスケジュールを組み立て、颯爽とライブに参戦する、熟練のビジネスメーン。

 

いつしか私は、彼を心の中で敬意を持ってお疲れさまです!課長!と呼んでいた。

 

課長は私の斜め前に位置。その背中は...明らかに疲れていた。

アーティストの武道館ライブですよ?晴れの舞台中の晴れの舞台。集まるのは基本的にファンばかりだ。そこには幸せの空気が集い、自分も含めて楽しさポイントが高い状態の人ばかり。しかし彼の背中は、苦痛に悶えているように見えた。

ぐったりした背中と、せわしなくビジネスムーブで操作されるスマホ。大変なんだろうな、疲れてるんだろうな。歳頃からして、その疲れは自分の仕事のことだけではないんだろうな。

 

歳を重ねれば重ねるほど、背負う物は大きくなりがち。自分の仕事や収入だけではあるまい。会社だったり、部門だったり。同僚や部下だったり、色々な物が背中に乗っているだろう。

プライベートな部分でも、まぁ大変となるお歳頃。親がいらっしゃれば、色々と大変なイベントが待っている年齢だ。ご家族がいらっしゃれば、家族を支えるために己を犠牲にしなければならない年齢だ。自身以外の何かのために苦労を重ねることになる頃合い。あぁ...本当にお疲れ様です。

 

それでも、一人で武道館ライブに参戦するんだ。音楽が、このアーティストが本当に好きなんだろうな。このライブが生きがいだったんだろうな。今はぐったりとしているその背中も、およそMP1に見えるその姿も、ライブによって癒されるんだろうな。一緒に楽しみましょうね!そんな失礼極まりない、勝手な妄想を抱いてしまった。

 

 

そしてライブは幕をあける。

ライブ中、彼の体はほとんど動くことがなかった。私と同じスタイル。拳や手を上げたりもしない、大きくノったり飛び跳ねることもない。声出しもしない。全力の拍手は送るけれど、じっくりと音を楽しむスタイル。

セトリの中で本編エンディングとなるような曲の前、アーティストのMCが差し込まれた。トークは有ると言えば有るんだけれど、長々と話はしないタイプだったからこそ、印象に残るMCとなった。

 

それはとても優しく、染みわたる言葉だった。

目の前に居る、武道館ライブをやるような眩しいほどに「スターである」アーティストが、自身もまた毎日苦しみやしんどさを感じていること。それは我々と同じであること。

今日のこの場所、この瞬間に於いて、音楽を介して我々は一つだ。音楽は演者と聴衆が居て初めて成り立つもの。演者は最高の音楽を放つ。我々はそれを受け取り、賞賛を贈る。それぞれの苦悩はあっても、今この瞬間は最高の世界を共に創ろう!

 

そこから放たれる壮大で感動的な楽曲。これで泣かんやつおるんかいな!どこか神聖な雰囲気をまとう音に包まれ、私の中の毒素はみるみる内に浄化されていった。そして彼の背中もまた、むせび泣いていた。もちろん顔は見えないけれどね。私はその日、大都会で働く企業戦士と共に...いや違うな、

 

武道館に集った1万人近い仲間達と共に、同じ想いを抱いて涙したのだった。

 

最高のライブだった。最高の音だった。ライブを終えた人々はそれぞれの帰路に付く。それぞれの物語に帰って行く。私もまた、私の物語へと帰って行くのだけれど、この瞬間に1万近い物語が交差したのだと思うと、我々はどこか誇らしげでもあった。

彼もまた、忙しい日々に帰って行くのだろう。そして多くの物事を支えていくのだろう。その足取りと背中をふと見守っていたが、足取りに疲れは見えど、その背中は凛としたものであった。

顔を併せてもいない、声もかけあってはいない。SNSで繋がっても居ないけれど、またどこかのライブで、知らずと再会することもあるだろう。それもまたエモいよね?