マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

逃げ上手と根性無しの境界線

YouTubeで、精神科医の方のお話で耳にしたのだけれども、今現在「精神疾患は甘え」的な誤認識をしている方は全体の25%くらいではないか?という予測。

「表面上はどういう態度を取っていても本心では...」という点で考えれば、まぁ納得かな~という気もする。今でも「え?今時まだそんな認識なんだ...」という発言を耳にすることも珍しくないですしね。

 

良くも悪くもひとつの病気だと考えれば、そんな物なのでしょう。「〇〇病」という珍しい病気があったとして、それにかかったことのない自分が、その病に悩む方の心にどれだけ本心から寄り添って理解出来るかと考えれば。ま、簡単では無いですよね。

 

 

私は幸いなのか?判断が甘いのか?今の所、医療機関のお世話にはならずに済んでいます。一方で、精神疾患を患った方は間近で何人も見て来ましたし、自身にそうした面が多々あることも自覚しております。

自分の中で、「これ以上は本当に危険だ」という一線があるようで、その一線に近づいた瞬間に強制シャットダウンが待っているというか。あ、これ以上はダメだな、と即決して逃げの選択をして来ました。その結果、大事に至らずに済んでいる、という感じです。

 

まぁ、そもそも『逃げる』というコマンドが出ない問題・場面もありますがね!

 

逃げられずに最後まで叩きのめされた時でも、他の部分で全逃げを決めることで何とか一命をとりとめたような所があります。

 

苦痛に耐えれば良いというものではない。辛い時は休息や逃げが大事。それは恥ずべきことではないよ。

こんな認識が市民権を得ている昨今ではありますが、「そんなにすぐ逃げ出していたら何も出来ないぞ!この根性無しが!」という見方も確実にあるし、あくまでもケースバイケース、程度の問題だったりするものです。

 

前々職。ある意味では素晴らしいホワイトな職場でしたが、その一方で何人もの方が精神を病んで休職されていました。そんな中で、私も個人的なダメージも重なり、こりゃあダメだと退職を決定。

前職(と言っていいのか?)。明らかに特殊過ぎる条件にハマってしまい、こりゃダメだと撤退を即決。向き不向きはあるとして、頭おかしくなっちゃうような案件でした。

 

これらの決断に後悔はないし、正解だと思っているし、自身が壊れる前に脱出出来たことは良いことだと思っています。けれど、自身が「壊れずに済んだ」という事実が、逆に「この根性無しが!」という声に変わって行くのです。

誰に言われたわけでもない。自身の声でもない。私の弱さが生み出す勝手な妄想によるものです。そうだと解ってはいるけれど...

 

精神に大きなダメージを受けても食いしばっている方を見て、凄いな!と思うんです。

自分はどうか?そうなる前にさっさ逃げ出したくせに。

それでも辛い、しんどいと嘆くのが、何だか申し訳ない気がしてしまう。

孤独な人生の中で、自分を見つめる「他人の目」なんて存在すらしていないのに。

つい自分と比べてしまう「具体的な誰か」なんて、居やしないのに。

自分は一体なにと闘っているんだろう...何をもやもやしているんだろう。

 

自分は誰に見栄を張ろうとしているんだろうか...まさか「世間様」なのか?

 

だとしたら、なんともしょーもない。くだらない。ありもしない「世間様」のために苦しみを感じるなんて、無駄無駄。あー嫌だ嫌だ。

 

眠れぬ夜にこんな思考を辿ったので、忘れないうちに記しておきました。

自分が逃げ上手か?根性なしか?は解らないとして、少なくとも見栄っ張りのバカ者なことは間違いなさそうですw