正確な名称はちょっと忘れてしまったのですが。
自分が何かを決定した時、「自分が選び取った物なのだから、きっと良い物だ」と信じたくなってしまう、妄信してしまう、良い情報だけを選び取って、悪い物から意識的に目を逸らしてしまう傾向が、私にはありました。
そんな悪い事なんてあるわけがない。気にし過ぎだ勘違いだ。
きっと大丈夫。自分が上手くやれば、頑張れば、良い方向に向かうはず。
こうした考えが良い結果をもたらす事もあるでしょう。
見えたもの、考えることが「客観的に正しければ」良きプラスとなるわけですが、もし「客観的に明らかにおかしい」のであれば、目を逸らし、信じ込み、ドツボにはまっていく泥沼でもあります。
更に、大抵は正しいか否かにも個人差はあり、「私にとっては良い環境」と「私にとっては合わない環境」なんて言うのもあって、判断が難しいところですよね。
かかりつけの歯医者さんが良いお医者さんか、ぶっちゃけ悪質なお医者さんか?とか。行きつけのスーパーが良いスーパーか、悪いスーパーか?とか。それぞれがそれぞれに何を求めるかによって変わります。
さて、結論を述べますと、一旦歩き始めた道を一度引き返すことに決めました。
おいおい、ついこの前スタートしたばかりなのに?
それって本当に正しいの?お前の根性がないだけなんじゃないの?
見切りが早過ぎない?こんな短期間で何が解るって言うんだ?
自分の中から自己批判の声が溢れて来るのも確か...ではあるのですが、そう決断させるだけの「あまりに自分にはフィットしない環境」が強く強く存在することが発覚したのです。
おや...これは...どうだろう?と不安に思っていた部分が、フタをあけ、より詳細に見えて来た段階で、「うそ...そんなのって有り!?」と驚くような、中々にショッキングな実態であった、というパターン。
詳細には書けませんが、友人・知人とも相談した結果、満場一致で「それはありえねぇな」となるほどには、強烈な環境でした。
今までの自分だったら。こんな短期間での決断なんて、出来なかったでしょう。先ほど述べたような、自分の中から溢れる想いに押し切られ、頑張ってみる、我慢してみる。そして自分も周囲も不利益を感じ続ける。あ~、想像が付きます。
今回は驚くほどに即決でした。自分の残りの人生で何を欲し、何が不要であるかをはっきりさせているからか?しんどい想いをするだけの時間、その内終わりを迎えることが明らかな道を進み、ただただ我慢を重ね、世間体やら常識的な満足を得るために浪費する時間が、シンプルに勿体ない!と思えるようになりました。
ひとも、人生も、環境も何かもかも千差万別。明らかに相性の悪い場所で孤軍奮闘の末に名誉の戦死をしたって、何の意味もないですよ。
自分の判断を、世間が正しいと言うか否か?なんて。
自分にとって本当に大切なひと以外の外野が何を考え、何を言うか?なんて。
マジで何の意味もないですよ。
トライ&エラーを重ねて進めばよい。と言うけれど。
エラーをする、認める、判定をして次のトライへさくっと進む、というのは、少なくとも今までの私では難しかった。「えー...でも...」といつまでもウジウジモジモジして、自分が我慢する道をひたすら選んできた気がします。
今回、速攻で「自分のエラー判定」が出来たことは、前向きな一歩。と言い聞かせる。
長い長い、自分自身への言い訳でした。
忍び耐える事が美徳。石の上にも三年。それが全て誤りでは無いと言え、もっともっと自分に優しい舵取りをして行きたいっすね。
生活環境や、当面の貯金等々。少なくとも、それが許される環境にある限りは、ですけれど。そしてその環境を作ってくれたのは、かつて死に物狂いで苦痛に耐えていた自分自身だと考えると...それはそれで複雑だなぁw