もう丸5年くらいは経過しているのかな。私、いわゆる「宅トレ」をやっております。
素人ながらに色々な情報を集めつつ、効果的なメニューを考え、タンパク質の摂取も計画的に行いながら、スケジュールを組んで筋トレを行う。
何しろ中年。あくまでも安全重視。怪我をしては元も子もありませんからね。
今になってもダンベルの重さは10kg強。いたずらに重さを増やして行くよりは、正しいフォームや効くフォームを心がけ、健康と筋力の維持を第一目標に。
スーパーマッチョなんて夢のまた夢ではありますが、同年代の中では「多少はパワフルで体力も維持出来ている方」に位置付けているとは思います。
少し前までは無職でして。筋トレをギッチリカッチリ計画的に行う事が出来ましたから。それはもう着実な進歩を遂げて行けたのですが、仕事を始めたからにはそうは行かず。
仕事に慣れて行った今後はどうなるかは分からないけれど、今の所は無理のないペースでのトレーニングを維持している感じなので、どうしたって筋肉の成長は鈍化...というか精一杯の維持に努めることになります。
以前は、10回続けるメニューであれば、11回...12回行けるか!?というところに集中していたのですけれど。
ここ最近は、8回...9回...あぁ、なんとか10回まで到達しないと、後退してしまう。
失ってしまう。
なんとか10回までは...というのがモチベーション。
なんというか、後ろ向き。
なんというか、辛く悲しい。
何かが違う。自分が求めていたのはこういう事では無かったはず。
筋トレというしんどい行為の対価として欲していたのは、もっと、前向きで、元気で、眩しい...
その時。あ、そうか。そこで11回やっちまえば良いだけの話か!と目覚めるのです。
は?アホか?それが出来ないって話をしてるんだろう?と思われるでしょう。
気持ちはよーくわかります。けれど、根性論とか精神論とかそういうのとは少しだけ違う、「心の置き方」「視点の置き方」とでも言うんでしょうかねぇ?
もう一回上げるのかい?上げないのかい?どっちなんだーい!?と自らに問いかけてみる。「あーげーる!」一択ですよねぇ。
きっと出来ない時もあるでしょう。
その時はちょっとだけ落ち込んでも、その代わりに出来た時は思いっきり自分を褒めてあげる。結果は同じでも。出来た日が5日、出来ない日が5日だとしても。その内の出来た5日をこそ中心に見据えて行く。
そのために、常にもう一歩頑張ってみる。
もう一歩踏ん張ってみる。
更にもう一歩だけ、前に進んでみる。
一事が万事では身が持ちません。現にそれで身を滅ぼした経験もありますから。
けれど、自分が選んだものに対しては。
自分がやっぱり欲しいなぁと思ったものに対しては。
ちょっとだけ。ちょっとだけ苦しい事に足を突っ込んでみる勇気を。
代償として、手放すと決めた物はすっぱりと諦める勇気を。
その辺なんだな。ここ最近のもやもやの正体は。まだ選別の最中...というか、常に選別の連続なのでしょうし、諦めきれない部分もあるのでしょう。
ここは行けるぞ!行きたいぞ!という自分の声によく耳を済ませて。
他ならぬ自分自身の意見こそ、しっかりと聴いてあげれば。
あの筋肉ルーレット...そういう真髄があるのか...いや考え過ぎか?いやしかし...