マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

おー、今年も来たね、いらっしゃーい

現在、田舎の畑のど真ん中にのぽつんと立つ一軒家に独り暮らしな私。独り暮らしは寂しいものですが、毎年の来訪者が存在しているので、少し寂しさも紛れます。

 

冬になると百舌鳥があちこちに速贄を用意しだし...て結局ほとんど食べないという素敵なムーブをかましてくれます。

同じく冬はヒヨドリのつがいが庭の果実を目当てに訪れまして。朝晩の決まった時間帯にお決まりのポジションでヒ~ヨヒ~ヨとうるさい素敵な声を聴かせてくれます。

もう少し暖かくなれば雀が定位置に巣を作るのがお決まりでして。雛が生まれるとぴよぴよと朝からうるさい素敵な声を聴かせてくれます。

 

そして、ちょうどこの時期から暑くなってくるまでの頃合い、庭の金木犀の真ん中にぽっかり空いたスペースに陣取る奴がやって来ます。

夜はその安全スペースで過ごして居るらしく、ゴミ捨てのために横を通ると鳥がびびって羽ばたいて行き、その音に私がびびって立ちすくむというムーブを何度も繰り返すことになります。

鳥の全力の羽ばたき、近距離でくらうと解っていてもびびるんですよね。

 

そんな彼(彼女?)が今年も無事に来訪しました。ホント毎年来るな、君は。

ツグミっぽく見えるけど、どうなんでしょう?

 

どうも我が家と鳥さん達とは縁があるらしく。

もう何年も前になるけれど、ある歳に雀が軒先に巣を作り始め、洗濯物が干せなくなるからご退場願おうと思ったら既に卵があり、もういいや好きにしろい!と諦めたのも束の間。

運悪く雛鳥が屋根の隙間(今はちゃんと塞いだ)から侵入してしまい、超狭い縦穴状の場所に落下してしまう事件が発生しました。

 

我々からすると、壁の中から雛鳥の声がする!?というホラーな現象だったわけですが、屋根裏から隅々を探した結果、ひな鳥を発見。

構造上2mある狭い縦穴から雛鳥を救助するのは困難を極めましたが、小さなカゴをに紐を結び付けた即席エレベーターに何とか雛鳥を誘導し、決死の救助活動を行ったことがあります。真夏の盛り、地獄の作業でした。

 

幸い、巣が軒先にあるので親鳥もすぐそこにいましたのでね。ベランダに雛鳥をそっと放して見守ることにしました。

すると、偶然なのか意味があってなのか、次の日の早朝に雀の大軍がベランダの桟の上に勢ぞろい。

「おい、〇〇さん家の□□ちゃん見付かったで~」

「良かったな~、大丈夫か~?」

「ちょっと飯もって来よか~?」

なんて妄想が捗ってしまう大集会が開催されまして。

 

その後はカーテンの隙間から静かに見守る日々。

エアコンの室外機の影に隠れた雛鳥に、親鳥が賢明に餌を与え続け、元々屋根裏に侵入してしまうくらいに動き始めていた雛鳥ですから、ともなくして無事に飛び立ち巣立って行きました。

その瞬間を2人で見られたのは本当に偶然で、忘れなられない一幕だったけれど。気を使って真夏にも関わらずエアコンを付けられなかった我々の苦労もまたひとしおでした。もちろん、他の部屋のエアコンで過ごして居ましたけどね。

 

一方で、のんびり散歩する鳩に百舌鳥パイセンがとっ込んで行って大惨事、なんていう一幕を肉眼で見る機会もありまして。世の中、いつ何を体験するか、解らないものですよねぇ。

ぼけーっと庭を眺める時間というのも、贅沢な時間なのでしょうね。

早いもので、もうすぐ三か月

齢40を過ぎて。20年弱務めた職場を離れて。新しい職場、更に専門外というか、これまでの職歴を直接活かせない仕事について、もうすぐ三か月。そう、試用期間を終えようとしています。

これまでのことを考えれば。仕事をして来た過去を振り返れば。三か月なんてほんの一瞬。三か月で何が解る。三か月で何が変わる。まぁそんな一瞬ではあるけれど。随分と長く感じた三か月。

 

始めは、正直面食らった部分もある。これはまたパンチのある職場だぞ、と。

でも、よくよく見てみれば、同じ人間だもの。そう構えることはない感じ。

収入は激減。立場も変われば、会社規模も違うし。

その分だけ責任やしんどさも激減。のはず。今この両肩に背負う物はほぼ無い。

 

とりあえずこの職場でも、自分に出来ることはありそうだ。

とりあえずこの職場でも、生きて行くことは出来そうだ。

もしかしたらこの職場で、大きく役に立てるかも知れない。

もしかしたらこの職場で、大きな責任を負うようなこともあり得るかもしれない。

そう在りたくはない。から前職を離れたのだけれど。

誰かの役にも立ちたい。から今の仕事に就いてみたわけで。

 

ほどほどでやりたいのに。大きな責任とストレスはもう負いたくないのに。

あまり役に立てないことが、ストレスにもなりそうな勢い。

誰かを助けられないことが、ストレスにもなりそうな勢い。

何を支払って。何を得て行くのか。

何を提供して。何を受け取って行くのか。

 

全力投球するのか、しないのか?

本当のその二択しかないんだろうか?

良い塩梅のやり方が、あるんじゃないだろうか?

自分自身も守りながら、ほどほどに誰かの役にも立って。

ほどほどに、ほどほどに。

でも、そうやってなんとなーく生きて。その日々に何の価値があるんだろうか?

 

いや、まぁ。そういう問題じゃないんだよ。という事はいい加減解って来たけれど。

一切の迷いを捨てられるほど、まだまだ大人にはなり切れないようで。

多分もうすぐ、そんな事を考えている暇がないくらいには、適度に忙しくなる。

適度に頑張って。休日に体を癒して。たまには楽しい思い出も作って。

 

あぁ、そうだな。ライブに、ライブに行こう。

またライブに行って、何もかも真っ白に燃え尽きるような快感を味わおう。

退職する前のあの日。ライブを体感して「まだ生きられる!」と思ったように。

またライブに行って、「まだ生きられるんだ!」と再確認して行こう。

試用期間が終われば『有給』というものが生まれるのである。

あの頃のように、ツアースケジュールと睨めっこしようよ。

 

さぁ...誰だ?次に射程範囲内の地でライブを開催してくれるバンドは誰なんだい?

 

なんだ。思ったより前向きで楽しい結論に至れたじゃあないか。よし、寝よ寝よ。

ふたつの道

ゴミ捨てを終え、ふと思ったので書いてみます。

自分の中で、人生の中でとても大きな大きな記憶と印象を持つ道が2つあるのです。

ひとつは、自宅からゴミ捨て場までの短い道。

もうひとつは、自宅の中、私の寝室からトイレへ至る短い廊下。

 

ゴミ捨て場までの道は、何度も2人で歩いた道。

病状も進み体調も悪化する中、世の中はコロナの真っ只中。

せめてものおでかけ。せめてものお散歩。2人で並んで歩く道。

ゴミ捨てに行くたびに「行く?」「行く~」と言葉を交わして、暗い夜道を歩くほんの1数分間。

いつかこの時が終わりを迎えた後もまた、私は独りでこの道を歩くのだろうな...

 

寝室からトイレへの廊下。真夜中に何度も1で歩いた道。

ロクに眠れるわけもなく。これから待ち受ける苦難と結末を何度も想像して。

色取り取りの悪夢を見てはうなされて。

苦しみとは裏腹に「今、今日のこの夜はまだ、2人で居られるんだ」という安堵を感じながら歩いた廊下。

いつかこの時が終わりを迎えた後もまた、私は独りでこの道を歩くのだろうな...

 

当然、生きていればゴミ捨てに行き、トイレにも行きます。今日もまた、この道を歩いて一週間を終える私。

想像していた通りに独り、このふたつの道を歩く自分。

あの頃は想像することは出来なかった、新しい生活を送りながら。

今日この日この時の苦しみは、あの時よりも小さくなって。

代わりに、今この時の喜びも、あの時よりも小さくなって。

満たされた幸せでもなく、苦しみだけの不幸でもなく。

喜びでも悲しみでもなく。

何とも言えない、淡い淡い感情を抱きながら、三月の夜風に浸って帰宅した今。

 

人生って、何なんだろうなぁ。

この先、どうなるんだろうなぁ。

まぁいいや。コーヒーでも飲んで。寝よ寝よ。

ゲームはしたいがストーリーはお腹いっぱい...なのかも知れない

FFⅦ REVERSEが遂に発売され、めちゃくちゃに興味があってプレイしたい今日この頃。しかし、なんと前作となるFFⅦ REMAKEをクリア直前?にストップされているため、プレイ出来ない、という訳の解らない事態に陥っております。

 

意外とあるあるっぽいのですが、好きで散々プレイしたゲームをクリア直前で止めてしまうこの現象、ホントに多いんですよねぇ。

ラスボスを前にして、ストーリーが全て明かされるクライマックスを前にして、サブクエ的な物を網羅してからクリアするぞー!という所で止まってしまう。

 

ゲーム実況を見るのも好きなので、さくっと実況を見てストーリーを理解してしまい、続編をプレイ!したって良いのに、それも出来ず、REMAKEのストーリーも気になったまま、

 

なんとなーく安売りしていたアサシンクリードヴァルハラを買うという不思議ムーヴ。

 

いやぁホントに、我ながら何を考えているんでしょう。

そんなこんなでまた始めたばかりのこのゲーム。発売からもう大分時間が経ってはいますが、やはりそのグラフィックは圧巻ですねぇ。

もはや、グラフィックが超リアルだね!という感想すらも出ないというか、リアルとアンリアルの境界線的な物は、どんどんとろけているような気がします。

 

これ、イベントシーンでも何でもない、普通のプレイ中の適当なスクショですよ?恐ろしいですねぇ...

オープンワールドは本当に好きなんですよ。

マップで未踏破の部分を消して行くのが楽しい。

新しいロケーションを見つけて行くのが楽しい。

イベントやアイテム回収は二の次、ただその世界を進み冒険するのが楽しい。

 

現実と見紛うほどに精密に作られたゲームの世界を歩くことは、まるで現実に旅や散歩をするかのように。景色をのんびり楽しむような面白さがあるのかも知れません。

むしろ、逆にストーリーが重荷になってしまっている面もあります。あちこちをふらふらして楽しんだところで、「あー、次はあそこに行ってストーリーを進めないとな」という本末転倒な感想に至る。

 

リアルに描かれた世界で紡がれるストーリー。まぁ大抵の場合は「喜怒哀楽」が散りばめられているわけで。それなりにしんどい展開も待っているんですよね。

美しく描かれた世界で。

仲間や登場人物も居る中で。

それなりに楽しい雰囲気で。

各地を旅してまわって、面白かったねぇ、ちゃんちゃん♬で終わりたい。

 

それはゲームだけではなく、漫画も映画もドラマも含めて、ストーリーがしんどくなって来ているのを感じます。

平凡で同じことの繰り返しな毎日が、日常がつまらないから、心躍る物語を楽しみたい、という方もいらっしゃるでしょうけども。

 

心が動く物語は現実だけでお腹いっぱい。焚火でも見て落ち着いていたい。

 

そんな気分に近いのかも知れません。

さてさて、もうすぐ日曜日の日も暮れ、夜が明ければ一週間が始まります。仕事があって、他人とのやり取りがあって、困難なトラブルもあったりして。やれやれです。

 

今はせめて。

ゲーム世界の中で北欧の雪山に登りながら。

こたつに入ってコーヒーでも飲みながら。

朝日が昇る様をのんびりと眺めますかぁ。

迫りくる闇、切り裂く力はそう!メタル

なんだかんだと、色々なことがありながらここまで来ました。

とんでもなく大変な物事があるわけでもない。

嫌~なひとが居るわけでもない。

大きなストレスを受けるような局面にあるわけでもない。

けれども、朝が辛かったり。

仕事に行くのはだるかったり。

先の不安だってあるし。

人間関係はやっぱり不得意だし。

隙を見せれば過去の傷が全力で〇りに来る。

 

その度に、「いいや、寝よ寝よ」とかわしつつ、出来ることをやりつつ。ちょっとは楽しいことも織り交ぜている日々ではあるけれど。薄いカーテンの向こうに潜む、陰鬱とした黒~い黒いケモノが襲い掛かって来るのに怯えている感触。

そうして、またしても偉人が去ってしまう訃報を聞くに、どうしたって暗い暗い世界へと堕ちて行く夜。久しぶりだったな、この感触。

 

幸い、「寝よ寝よ精神」で無事に朝を迎えたわけですが。

新しい生活を迎えて、これから次の人生が始まって行くんだ!(先生の次の作品にご期待ください!!)という、希望溢れるテロップはまだまだ流せないな~、なんて。

そんな後ろ向きな再認識をさせられたのでした。

 

打開策はこれしかないと、解っているんですよ。そう!メタル!

 

例え刀折れ、矢尽き、精魂尽き果てたとて、立ち上がる力をくれるのがメタルの力!なんですが、最近目が覚めるような良曲との出会いがないんですよねぇ。

昨年、推しが続々と新譜を出してくれたこともあって、ちょっと幕間感が否めない今日この頃。

これまであまり聴いていなかったバンド、聴いていなかった曲、そういう物と出会うのにぴったりな時期とも言えるんですが...中々良縁がないのですよ。

 

少し前にも書いた通り。都会で超絶美男美女を目にしたからと言って恋が始まらないように。どんなに神曲であっても、人生の中のちょっとした「縁」がなければ今一つピンと来ないのが世の常と言う物。

解って居ながらも、これが中々。ジャケ買いでもしてみるか~!と思っても、そういう時に限って良ジャケにも出会えないジレンマ。

 

思い起こせば、いつだって「マイブーム」的な楽曲があって、しんどい時や頑張る時に脳内に流して踏ん張るのが常套手段でした。

ふと気が付けば、もうかなりの長い間この感覚を失っていることに気が付いたのです。頭の中に音楽が流れていない...だと?脳内に流すための「マイブーム」がなければ、日々がしんどいのは必然というもの。

常に頭の中に存在して、焦がれて焦がれてやまない。そう、あれは正に恋でした。

 

ヘヴィメタルへ恋をする日々、正にメタリックロマンス!

 

ヘヴィメタルに恋焦がれ。

推しのライブツアーを中心に年間スケジュールと予算が組まれ。

そこに対応するべく仕事も段取りを付けて納期をバッチリ守って行く。

そのために頑張る。生きて行く。

あぁ...もう一度、あの日々へ帰りたい。いや、帰ってみせるぞ。

外タレでも来いや!二度とないチャンスと思わせるような、凄いライブを!

youtu.be

今日~はた~のし~い、ひ~なまっつぅ~りぃ~♬

普通にしんどい日々と、ちょっとだけはある楽しみと、パンチの効いたBADイベントに揉まれる日々の中、気が付けばもう三月。

 

おぉ、三月かぁ...

昨年の三月、かなりの長期間携わっていた仕事を離れ、人間関係も大きくリセットされ、その後なんやかんやあって新しい日々を始めるに至っている今日この頃。

大きな岐路となった昨年、2023年の3月という存在はとても大きな物でありまして。

 

あの時の自分はどうであったか?

あの日の判断は正解であったのか?

進んで来たこの道は果たして正解ルートと言えるのだろうか?

 

節目として、あれやれこれやと色々な想いが巡り、思い出すこともあり、考え、悩んでしまうのも致し方ないこのタイミング...

 

だと思っていたら、2~3分考えて、考えるのを辞めてしまいました。

 

いやこれ、正直驚きなんですよ。

かつての自分であれば、ぐじぐじうじうじ、グダグダと独りで思考を転がして、苦しんでみたり嘆いてみたり、少しでも希望を見出してみようとしてみたり、していたはずなんですけどねぇ。

 

今この瞬間に、ひとまずのやる事さえも定まっていない状況であったら違うのでしょうけど。悩む奴は暇な奴とか、とにかく何か動いていれば悩む暇なんかないさとか、そういう面も確実にあるのだけれど。

そうは言っても、こうもすっきりさっぱり思考を遮断してしまうのは、自分の中で大きな変化だなぁ、と思うのです。

 

これが進歩か?退化か?は別問題ですけどね。

自分が変わりたいと動いてきた成果なのかも知れないし。

単に老化現象かも知れないし。

もっとシンプルに、ただ疲れてしまっただけなのかも知れないけれど。

齢40を過ぎて明らかに自分の特性が変化する様が、単純に面白く感じるのです。

 

単純に、抱えている物が小さくなった事も大きいでしょう。

仕事の上で背負うべき責任もぐぐっと小さくなり。

守るべき、守りたいと思っていた家族もなくし、今はせいぜい自分の身ひとつ。

何かに思い悩んでみては、「まぁいいや、寝よ寝よ」と思えてしまうのも、まぁ当然と言えば当然でしょうか。

 

そう思うと、何か悲しいことなのかな?虚しいことなのかな?なんてマイナス思考が生まれては、その瞬間に「まぁいいや、寝よ寝よ」が訪れる頼もしさよ。

こんな感じで生きて行けたら、ちょっとは楽しいかもね。

 

 

そんな事より、今日は楽しいひな祭りではないですか!?

ご存知の方はもちろん、ご存知でない方も是非是非に、血塗られたひな祭りを爆音で聴きながら、何とも言えない陰鬱な気分に浸りましょうw

癖になる土着感マシマシのリフ。

美しさと怪しさが交差する唯一無二のギターソロ。

研ちゃんのおどろおどろしい歌声で綴られる惨劇の世界。

アルバム頽廃芸術点を聴いた勢いでダンウィッチの怪で〆る。最高の日曜日ですよ...

 

 

血塗られたひな祭り

血塗られたひな祭り

またひとつ、冥土への土産話が増えました

今度遊びに行こう!と前々から予定を立てて、それなりに遠くまで出かけて行き、バチクソ美味しい物を食べ、ドチャクソ良い景色を見て来る。そんな『遊び』を楽しんで参りました。いやぁ、楽しかったなぁ。

 

メディアやSNSが発達して、素晴らしき物が次々と目に飛び込んで来るようになった昨今...と思えば、それほどまでに特別ではないかも知れないけれど。庶民の私にとっては十分にあり得ない、二度と機会は無いかも知れない?くらいに高価なお肉。お値段相応の味わいでございました。

高級な赤身肉、良いですねぇ。

いわゆる霜降り的な和牛の美味しいお肉は、少量は食べる機会があるじゃないですか。焼肉屋さんでちょっとだけ頼んでみたり、旅館でちょっとしたすき焼きが出たり。

あの「口の中でとろける~!」というジューシーな美味しさも素敵ですが、この高級赤身肉の『旨味』『柔らかさ』『確かな歯ごたえ』を全て両立した美味しさというのも、げに素晴らしき。

先日の熟成肉ハンバーグと併せて、ちょっと美味しいお肉を食べすぎな今日この頃。美食確変突入していた日々も、ようやく納豆ごはんの日々に帰って行きそうです。

 

そして、眺めた景色も素晴らしいものでした。

普段は山の中で暮らしている私にとって、海という存在はそれだけで特別で素敵でテンション爆アゲ確定なものでして。

どこまでも広がる海。

広大な空に浮かぶ膨大な雲の隙間から海へ降り注ぐ光の帯。

押し寄せる波と、長い年月をかけて削られていく大地の様。

そこにすっと並び立つ、鳥居という人間の文明の痕跡。

 

超絶ありきたりですが、大きな海を眺めていれば、自分の人生なんて何とちっぽけなことか。その中で湧き上がる苦しみや悩みなんて、寄せる波を一発くらえば散り散りになってしまうという物です。

少しずつ溜まり始め、その重さが足かせになり始めていた日々の悩み。ちょっとだけ失礼して、そっと海に流して帰って来ました。

 

 

 

今日でお休みも終わり。

また足から仕事が始まって。

命がけの日々までには行かない程度、のしんどさと闘う日々が始まり。

いつかまた楽しい日が訪れるその日まで、と言い聞かせて乗り越えて行く。

 

同じことの繰り返し。かつてのあの日々と同じ。

進歩のない、そんなんで良いのか?という他愛のない日々に帰って来てしまったのか。

それとも、ようやっと愛すべきこの日々に戻ることが出来たのか。

 

どっちでもええわそんなんもん。本気でそう思えるようになって来た気が、ちょっとだけする今日この頃。

 

【朗報】四十にして惑わず!とは行かなくても、多少は惑いにくくはなるよ。