今日も続いて行きますよ、Arch enemy祭り。3/3(金)のZeppへ参戦する身としては、もう身も心もArch enemyの虜。他の音楽なんて耳に入らないってなもんです(ホントはあれこれたくさん聴いてるけども...)。
本日ご紹介するのは、Dead eyes see no future。発表は2003年と、Arch enemyにとっては中期くらいの作品になるのかな。
私をArch enemyという一生抜け出せない沼に叩き落した、罪深き楽曲。
私が大好きアンジェラ期の屈指の名作です。屈指の名作なのに、これ級の名作がゴロゴロあるという恐ろしさ...
(アンジェラ期っていうと、なんかジュラ期みたいですね)
今となっては、Arch enemyは女性ヴォーカルなのに超絶デスヴォイスなやべー奴ら、というのは小学生でも知っている事実。しかし当時はこの事実が今よりも更にインパクトがあり、先駆的でもありました。
とかく「デスメタル」という言葉は一人歩きしがち。ヴォーヴォー言いながら、何言ってるか解らないし、デスなんて言うくらいだから、悪魔召喚みたいなやべーこと歌ってんじゃねぇの?(笑)みたいなステレオタイプは未だに存在する。
でも、その人を悪く言う気も責める気も有りません。自分だって良く知らないジャンルはあるし、理解出来ていないこともあるんだからね。
なので言いたいことはただ一つ。『デス』と『エモ』は共存するのです。
メロディックデスメタルにジャンル分けされるこの曲も正にそれ。オープニングからゴリッゴリのギターサウンドが炸裂。そして歌声はもちろんデスヴォイスだ。まぁ激しくて、うるさくて、よく解らないけど聴いていて疲れてしまうそう...に思える。
だがしかし、よーく聴いてみて欲しい。確かに激しいんだけれども、その向こうにとてつもない「情念」を感じはしないだろうか?例えばサビでバックに流れるサウンド。ギターに加えられた特殊効果的な音もまた雰囲気を高めるんだけれども。そのギター音そのものが、実に表情豊かだ。
哀愁であったり、哀しみのような雰囲気であったり。まるで物語が再生するかのような感情が込められた音。そこから楽曲の展開と共に、めくるめく物語までもが展開されていくかのよう。幕間では「壮大さ」まで加わり、クライマックスへ向けての盛り上がりもバッチリ。
デスヴォイスと激烈サウンドで全力で〇しに来るスタイルとは違う。あまりにもエモ過ぎるサウンドに重さと説得力を足すために合流するのがデスヴォイス、のような様式美感すら覚える。
楽曲と、音の展開だけで余裕で泣ける彼らの音楽。もちろん人生で初めて生で見て、聴いて、感じて来た時。私の人生は、果たしてどんな影響を受けていくのか。その日まで、あと三日です...