お線香を焚く。焚く、という表現で合っているのかな?
正しい作法まで理解はしておらず、自分なりのタイミングで仏壇でお線香を焚いているのですが、今日はいつもより多く、何度目かのムーブであります。
お盆。正確には色々な風習や考え方等あるのだろうけど、ざっくりと言えば「故人の魂が一時だけ帰って来る季節」という感じでしょうか。
自分の中で「故人」という言葉に特別な意味がもたらせれてから二度目のお盆。自分自身の状況も相まってか、案外冷静に、感傷的になることもなく、迎えられました。
この事実が安心するようで、ちょっと寂しいようで。ひとの心は贅沢なものですね。
ひとことで故人が帰って来る、と言ったところで、どこへ帰って来るんでしょうね?
例えば北海道で生まれ、
東北で青春時代を過ごし、
東京で恋人と出会い、
関西で結婚生活を送り、
九州へ引っ越した後にまだ若くして亡くなってしまったとして。
結婚相手は未だ若く、再婚して新しい家族を引き続き九州で持って、
ご両親や親族は現在沖縄で住んでいらっしゃるとしたら。
故人は一体、どこへ帰って来るんだろうか?なーんてバカなことを考えました。
要は、故人の魂は果たして私のところへ帰って来てくれるんだろうか。
更に今後の私の人生によっては、どうなるんだろうか?なーんてね。
今、私が生活しているこの部屋に、カップ焼きそばUFOの強烈な薫りが漂っているのですよ。理由は簡単、食べたからね、UFOを。
長らく我が家ではUFOなんて食べることは一切ありませんでした。故人と私がペヤング派だったからです。時折食べるカップ焼きそばはいつだってペヤング。
けれどもね?最近なんとなくUFO大好きな知人の影響で、私の中でUFOのプチブームが到来してしまったのです。そして食べてしまった...UFOを。もしも故人の魂が帰ってきたら、どう思うだろうか。
そこはペヤングだろ!と怒るだろうか?
変わったねぇ...もうペヤングは食べないのか。と寂しがるだろうか。
へぇ~、UFOに行ったんだねぇ、それも良いよねぇ、と笑ってくれるだろうか。
まぁまぁ、本当に故人の魂が存在していて、お盆に帰って来る!だなんて、信じられるような粋なメンタルは持っていないのだけれど。
故人の人生は終わりを迎え、まるで時間が止まってしまったかのように、固定化された想い出の存在となった一方で、私の人生は未だ続き、小さな変化を繰り返して行きます。
そこに寂しさのような、一抹の救いのような、不思議なものを感じてしまいます。否応なしに時は流れ、全ては変わって行ってしまう。
もうすぐお盆も終わりですね。
すでに「あの頃」とはすっかり変わってしまったことを感じさせる、UFOの何とも言えない美味しそうな薫り。この薫りにふと気まずさを感じて、余計にお線香を焚く。
来年はもっと大きく変わっているかも知れないぞ。辛い物が大の苦手だったねぇ。極激辛ペヤングの薫りを漂わせたりしていたら...もう帰って来てくれないかなぁ?
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