マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

ヘッドライト・テールライト_中島みゆき ただただ、流れに身を任せてみる

一週間お疲れ様でした。今週も色々と、大変でしたね。

この記事は当然、自宅で書いているわけですが、書く内容を頭でこねくり回しているのは今、会社帰りの車中であります。

 

一週間の仕事を終えて、疲れなのか、安堵なのか。深いため息をついちゃって。

ぼうっと眺める先には、帰り道で少し渋滞した車の列。日も短くなって、暗くなった世界に点々と連なる車のテールライトの列。

 

もちろん、車中で流しているのはこの曲。中島みゆきヘッドライト・テールライト。もう解説も何も不要。この歌の世界にそのまま浸かりながら、終わらない旅を続けて行きましょう。

ヘッドライト・テールライト

ヘッドライト・テールライト

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中島みゆきは「世代」よりも下なのかなぁ。実は中島みゆきという存在を詳しく知らない。名曲の数々はもちろん知っている。音源だって持っている。

けれどあまりにカリスマ過ぎて、圧倒的な存在過ぎて。詳しいことを知らないことに、今気が付いた。何歳で?どの曲がどの順番で発表されて?いや全く知らないんだな。

 

その歌詞の世界。楽曲と歌唱力。独特の声質。このヘッドライト・テールライトのように優しく包むような曲もあるけれど。どちらかというと、突き刺すような鋭い矢に魂を撃ち抜かれるような、そんなイメージがある。

厳しいとかそういう意味ではなくて。本当に「うわーそこ突いてくる!?」っていうポイントを正確に撃ち抜かれるような驚きと心地よさ。理由の解らない説得力。

 

そしてこの曲。これを初めて聴いた時。まだまだ若かった記憶があります。

仕事はしていなかったんじゃないかなあ?大学生になったころだったかな。そうか、それならバイトをしていたから、働くことも知り出した頃だ。

子供時代の、とりあえず何か適当に過ごしていれば許されていた日々から少しずつ離れ出した頃。自分なりに進むべき道を決めて、先のことを考えながら学んだり、何かをこなして行ったり。とは言え、毎日が大冒険!でもないわけで。

 

繰り返しのようで繰り返しのない、自分の意思をもった日々を「送る」という感覚。

 

子供の頃は当然守られる存在だったわけだから。明日というものは用意されているものっていう感覚だった気がする。放って置いてもやって来る。今日は過ぎて行くものであって、その連続に特別な想いは無かった。

 

けれど大人になって行くとそれは変わって来る。一見すると、変わらないかも知れない。自然に訪れる朝と夜を繰り返し、同じ仕事をしながらの繰り返しかも知れない。

でもそれは本当は繰り返しではなくて。毎日は少しずつ違っているし。働かなければお金が無いから明日は来ない。この先のこともぼんやりと考えながら、自分や、仲間や、家族の世話をして、日々を暮らす。

 

明日が来るのではなく、明日へ歩いていくという感覚。意図はせずとも、振り返ればそうしている。明日の用意をしたり、ごはんを食べたりするのもそう。自然と明日を生きるために、自分で何かをしながら、前へ進んでいく。

 

 

目の前に点々と続くテールライト。頭の中は別世界だ。この道を進むことも、車を運転することも、実はあまり意識していない。

前の車のブレーキランプが消えたら、ブレーキの足を緩める。ブレーキランプが付けば、またブレーキを踏む。意識は心地よい音楽に向いているけれど、当然のことながら、自分の意思で帰り道を進んでいる。そうしてまた明日を迎えて行く。

 

ヘッドライト テールライト 旅はまだ終わらない

 

何度も繰り返されるこの歌詞。言葉としてはほんの一言だけれども、この一言にどれだけの想いが込められ、それを聴く我々はどれだけのものを再生して受け取っていくのだろうか。

すげぇな。音楽って、ホントにすげぇな。

 

 

なんとなく、こんなのも貼ってみる。初めの1分くらいのCM部分ね。

このCMほどじゃないけど、ふと空を見て、満月を見て、何だか元気が出ることって、ありません?どういう原理なんでしょうね、あれ。世の中は不思議だらけだ。


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