いやー送った送った。
送っちゃったよ。
なんとも不思議な気分だ...
それなりの歳だし、田舎育ちだったってのもあって、お盆の習慣は実家でガッツリやられていて。お盆、迎え火、送り火。知識としては知っていた。
火焚いてんなー、くらいにしか思ってなかった。ご先祖様?なんて言われたって何一つぴんと来てなかったし、大人になって独りで暮らしている今、こうした風習をそのままやっているとは思っていなかったよ。
良いのか悪いのか、色々な事情があって。お盆の期間そのものは独りぼっちで過ごすことになった。
だから、送り火とか迎え火とか、お盆だなんだっていうことも、やるもやらないも自分の自由に出来たのに。
めんどくさいからやらない、って選択肢はなかったなー。少なくとも今年は。
自分は普通に科学を拠り所としているし、信仰とかそういう物は無いと思っている。占いは信じないし、風習は文化であって、お盆の期間に亡くなった方の魂が戻ってくる、とかは本気で思ってもいない。
厄除けとかそういうのに掛けるお金はホントに無駄だと思っているしね。そういう文化を否定するつもりはなく、あくまでも「自分は」という意味で。
そんな自分が、しっかりと迎え火と送り火を焚いて、送ってしまった後の一抹の寂しさに暮れている。不思議なものだな。
病気との闘いが始まった数年前から、夜はロクに眠れたことが無かったのに。
この数日は驚くほど安らかに眠れた。
夜中にふと目が覚めても、なんだか穏やかな気分に包まれていた気がする。
ホントに帰って来て、すぐそこに居てくれたのかなー?なんて思えるほど、素敵な心は持っていないようだ。(そういう考え自体は結構好きだけどね)
むしろつまらない余計なことばかり考えてる気がする。
太古より人類は火を崇めて来たって言うし、「火」という物のなんらかの効力があるんだろうか?科学的な意味で。とか。
夏の暑い夜に火を焚くという行為。はぜる音に焦げた匂い。五感に訴えてくるものがあるよなー。リラクゼーション?とか。
自分自身の心の整理、脳内の記憶情報の整理とかをやっているのかなー。とか。
素直に「お盆だから帰って来てくれたんだよ」なんて言葉に身を委ねてしまいたい。それに対する不思議な抵抗感が、色々な考えを巡らせているような気もする。
相変わらずだねぇ、といつものように鼻で笑われている気がするな。
ここまで屁理屈をこねておいて、こんな事は平気でふと思ったりもする。
なんとも不思議な考え方。宗教観?死生観?正しい言葉は解らないけれど。
日本人にはこういう人、多い気もするな。
そんでもって、こんなへんてこな感情をいつまでもこねくり回している自分は、実はそんなに嫌いではないのかもしれない。