マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

異端者の悲しみ_人間椅子 世の中に馴染めないことに悩むあなたへ

異端者、というと大げさに感じるでしょうか?

世の中に馴染めない。イケてるグループに馴染めない。団体行動が苦手。人と居るのが苦痛。

一方で、いつも集団の中で楽しく過ごしているような人の中にも、実は無理をして心に孤独を感じている人もたくさん居るでしょう。

 

そんな生き辛さを感じたらこの曲を聴いてほしい。HR/HM界の異端者のような、それでいて和製HR/HMのマスターピースでもある、人間椅子の異端者の悲しみ。

 

「卓越した技術によって完成された音」と「そこに載せられた詩から作り出される唯一無二の世界観」が容赦なく降り注ぐ。

音も、言葉も、全てが魂を揺さぶる。そこに人間椅子だけが放てる魅力がある。

 

異端者の悲しみ

異端者の悲しみ

  • provided courtesy of iTunes

 

まず特筆すべきはこの音の重厚さよ。

この音圧でスリーピースバンド!?というのは彼らへの賛辞として何度叫ばれたか分からない。かくいう私も出会ったころは、何度目と耳を疑ったことか...

 

シンプル且つ練りに練られたリフの心地よさを最大限に活かし、大きな場面展開を繰り返しながら二転三転しながら様々な音像が繰り出されていく。

 

HR/HMで言えばある種の様式美ではあるものの、近年の日本の楽曲に聴きなれていた方にとっては新鮮な曲構成に感じるはず。

 

 

全編通して重く、暗い雰囲気をまといながら楽曲は進む。

時には晴れ間が射すような、希望を感じるようなメロディが現れるが、結局は重く暗い暗雲に包まれるように曲は幕を閉じていく。

 

人間椅子の楽曲の中でこうした暗く重苦しいテーマを持つ曲は多い。

その多くは様々な展開を経て、ある種の開放のような、大きく雰囲気を変えながら終わっていく。

そんな中、この曲は最後にはまた始まりのリフに戻り、悲しみを訴えたまま終わっていく、という点がこの曲の大きな印象でもある。

 

 

私は自分が「異端者」に当てはまると自覚している。

変わり者、仲間外れ、作り笑い、上辺だけの付き合い、一人ぼっち、そんな表現がよく似合う人生を送ってきた。

そんな私の琴線に片っ端から言葉が刺さりまくる(これは良い意味での「刺さる」で、「解る!」「そうそう!」という意味として)。

 

特に響くのが、

 

「諦めの家路につき、今日の日を嘆く」

 

どうでしょう?むしろこの言葉が刺さらない大人って居るの?と思うくらい。

今まで何度、「諦めの家路」についたことか。

今まで何度、「今日の日」を嘆いたことか。

けれど、「さすらいの魂は街中に溢れている」。

世界から、世の中から、「他のみんな」から、ぽつんと弾かれているように感じる時がある。けれど、同じ想いの人はたくさん居るんだ。決してひとりじゃないぞ。

 

 

なんだか不自由な、苦しいような。本当はもっと自由なのに、無限なのに。心と体という狭い入れ物に入れられてしまったような感覚。

悟り?理想郷?適切な言葉が見付からないけれど、あるべき場所、みんなが自由で居られる光り輝く場所があるんじゃないか。帰る場所があるんじゃないか?

 

希望の光が射すような晴れやかなギターソロを経て、一転。暗く重く、どこまでも深いベース音が深く静かに響きだす。

 

暗闇にうずくまり、悔恨に打ち震え、

さまよえる精神が、夏の夜に凍えている

 

 

「異端者」

10人居れば10人が等しく同じでは居られない。社会の輪の中心から外れてしまう存在は必ず居る。そしてそれは大勢居る。

理想はある。目指すべき場所もある。同じ想いを持つ「仲間」もたくさん居るはずなのに、それでも「万事OKみんなハッピー」になることは出来ない。

 

人が人である限り、個々の存在である限り、この苦しみや悲しみは無くならない。

ならばせめて、泣くがいい、叫ぶがいい。その苦しみを背負っているのは、あなただけではないのだから。決してひとりではないのだから。

 

 

 

人間椅子の世界感はもはや文学。どうしても固い口調になってしまいます。

世界観は嚙み締めつつ、爆音、ヘドバン、振り上げる拳、で堪能しよう。

そして是非Liveに行こう。Liveでみんなで同じ曲に身を委ねれば...

数えきれない人が一つになれるよ。その世界には異端者なんて一人も居ない。