日本独特の、じっとりと湿った仄暗さを表現させれば右に出る者は居ない、人間椅子の傑作「芋虫」。
独特の気持ち悪さの奥にある、深い悲しみと人間の業。
江戸川乱歩の「芋虫」をドゥームメタルで表現し切るという離れ業。
人間椅子をご存じない方、少しだけ知っている方、どっぷりはまった檀家様の皆様。
どうぞこぞりて、晩夏の夜更けにこの曲を。
記事はある程度書き溜めているので、ちょっとタイムラグがあるんですが...
先日、芋虫と添い寝をするという得難き経験をしまして。これは是非この曲をご紹介せねば、と思い立ったわけであります。
この曲は人間椅子の良さが全て詰まった名曲であり、人間椅子好きの方々の中では知名度も高い一曲。
バンド名にもある通り、日本文学、ひいては江戸川乱歩の作を曲に載せることを得意とする彼ら。この曲も違わず、芋虫という作品をモチーフとしている。
この曲を100%楽しむには芋虫を読んでみて欲しいところではあるのですが...
短編小説とは言えここでそこまでお話してしまうとキリがないので、要所では芋虫を読んでおられない方には?なコメントをしてしまいますが、ご容赦を。
先ずは特徴的なベースリフとスライドギターで開幕。
暗さ、気味の悪さ、そして悲しみや哀愁をじっくりコトコト煮込んだような、これから始まる物語を予感させる、実に良く出来たオープニング。
本作のメインヴォーカルを務めるのは鈴木研一。こんな音楽と出で立ち(2022年時点で白塗り坊主の大男)なのに通称は研ちゃん。こういうところも不思議な魅力。
歌い方は実に独特で味が有り、日本の古典歌謡の雰囲気が漂う。少なくともHR/HM界では実に稀有な存在であるはず。
しっとりと、じっとり、野太く唄われるのは、何とも暗く陰鬱とした心模様。
重い...実に重い。
俺は芋虫。この言葉に込められた意味は、「本当に芋虫に変身してしまった」というような空想物語ではなく、「芋虫みたいなしょうもない奴だ」というような己を卑下するありがちな気持ちでもない。
この真相は読めばすぐに解ります...あらすじとかでも書いてあるはず。
そして楽曲は間奏部へ。和嶋慎治(2022年時点では和装に長髪、正に大正文豪の出で立ち)のめくるめくギターソロの世界にようこそ。
このギターソロ...長ぇ。でもそれが至高。
スタジオ音源では2分、Liveでは5分くらいあるんじゃないか?くらいのギターソロ。これがなんとも素晴らしい。
聴けば「和嶋節」と解るような手癖たっぷりの独特の音色は、文化遺産に残したいくらいの個性を放つ。
速弾きではあるのだが、フレーズの粒はくっきりはっきり。
音が潰れるようなことがない。ギターヒーローにありがちな、「速すぎて何弾いているか分かんない(でもカッコ良くて凄い)」状態になることがない。
ブルージーな雰囲気を漂わせながら、熱量とメッセージ性を携えた音に包まれる瞬間は本当に別世界に飛ばされたかのよう。
本当にLiveで体感してみて欲しい。秒で泣ける。
そして間奏のラストで登場する異質な音は、なんとテルミン!
知らない人はお父さんお母さんに聴いてみよう。もし一瞬で答えてくれるご両親だったら、是非大切にしような!
このテルミン、もちろんLiveでは自分で演奏するよ。もはや奇術師の方ですか?
そして間奏の後に待っているのは怒涛のラスト。ミドルテンポだった曲調から一転、激しく燃え上がるような展開。これがあるからたまらないんですよ、人間椅子は。
人間椅子というよりは、ある種の様式美ではあるんだけれども。
一曲の中に様々な展開が待っていて、一曲で何度も美味しい。長い長いギターソロも当然メインディッシュではあるんだけれども、その後に更なるご馳走も待っているという幸せ。
おちてゆく...と唄われるラスト。これは「堕ちていく」という意味もあり、「落ちていく」という意味もあり。この時にはっとさせられる。
この曲は、井戸の底へ落ちていく主人公が今わの際に脳裏によぎったものなのか。
作中では喋ることも出来ず、主人公の意思、気持ち、考えていることは一切触れられることがなかった(それがまた物語を引き立てる)。
作品発表から数十年を経て作られた、そんな主人公からのアンサーソングこそがこの芋虫という曲なのかもしれない。
ある意味で夢も希望も救いもない曲と物語。
これを聴いて気分爽快!とはいかないけれど、あなたももし、目覚めたら服の中に芋虫が居た、なんて絶望的な経験を暁には、是非この曲を...