マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

私の残機、ナンぼでっか?

「残機」という概念。共通語かのような認識でしたが、ゲームをされない方には馴染みがない言葉かもしれません。

 

例えばファミコン初期のゲーム、スーパーマリオ、ご存知かな。ジャンプして、クリボーを踏んで進んで行くゲームの中で、敵に当たってしまったり、穴に落ちてしまったりすると1ミス。残機が1機減ってしまうわけです。

ゲームスタート時点では残機が3なら、3回ミスしてしまうとゲームオーバー。途中でコインを集めたり、1UPキノコを取ると、残機は増えることもあったりします。HPとかライフとかとはちょっと違う概念ですね。

 

さて、以前アルバム『予襲復襲』の曲解説の中で、亮君が述べていた言葉。最近妙に頭の中にチラ付くのです。本当はもっと直接的な事柄に直接的な言葉を使用していたのだけれども、少しふんわり表現すると、

 

人生の中で主にメンタル面でドン底まで落ちて病んだとして。その時、残機は1機減っている。そこから復活したとして、元通りになっているわけでは無い。残機残り1機。瀬戸際まで追い詰められている、後が無いことには変わりはない。

 

意訳で申し訳ないけれど、大勢としてはこういうお話。

 

色々なことがあって、精神を病んで。苦しんだ末に何とか立ち上がって、また歩き出す、という場面は幾度もありました。

表面的な感覚で言うと、最大HP100だった私がダメージを受けて、HPが10くらいまで減ってまともに戦えなくなった。なんだかんだあってHPが50くらいまで回復したから、前の生活に戻る、また戦おうとする。そんなイメージを持ちます。

 

けれど実際に、特にメンタル面で病んだ経験がある方は共感していただける気がするのだけれども。

覆水盆に返らず。

割れたガラスは元に戻らず。

ひび割れた心が「元の姿」と全く同じに還ることはなく。

風邪や軽度の体調不良のように、「すっかり治って元通り」にはならない。

大怪我や大病をして、後遺症が後々まで残ってしまうイメージといいますか。

 

残機は確実に1減っている。ゲームオーバーへ1歩確実に近付いたという事実。

 

もちろん、様々な経験を重ねて行ったり(≒コイン集め)、特上級の素晴らしい物事や人に出会うことで(≒1UPキノコ)、残機が増えることも有ります。けれど、基本的には残機は減って行く一方。確実に「生」が擦り減るようなこの質感は、いつになってもなくなる物ではありませんよね。

 

よく、困難を乗り越えるとか、苦難から立ち直るとか、そういった言葉使いを見掛けます。自分自身にならば良いですが、親しい相手を含む「ひと様」には、こういった言葉を使うのはあまりおススメしませんね。(←何かあった)

大きな傷は無かったことにはならず、過去に置いてくることも出来ず。今後の人生で常に私の影の中に潜むように、ぴったりと後にくっ付いて来るものです。

 

もう一度立ち上がって、前のような生き方に戻らなくては。

ひとつ経験を積んだのだから、もっと1ステップ前に進まなければ。

傷を癒して、もう一度同じ壁に立ち向かうんだ。きっと超えられるはずだ。

そんな思考も素敵です。でも、例えサイヤ人よろしく、瀕死の危機を乗り越えて最大HPが増大したとしても。肝心の残機がなくなってしまっては即ゲームオーバー。

 

この先の道はどうも険しそうだな。ちょっとそこの交差点を曲がってみようかな?

 

くらいの感覚で良いんじゃないでしょうか。高速道路が渋滞してたら下道も良いでしょう。新幹線の運賃が厳しければ、試しに鈍行に乗り換えてみましょ。到着時間が遅れても、なんなら目的地に届かなくても。素敵な風景に出会えるかも知れませんよ。

 

 

残機が減っている皆さん、大事にしましょ、残機。

未来も将来も、社会も世間も知ったこっちゃありません。我々にとって一番大切な物は...そう、残機!

果たして、私の残機はどれだけ残っているのだろうか...

 

 

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