駅前の繁華街であるはずの場所に現れた旧友は、生まれてから40年経ったという事実を感じさせるくらいには、人並みに年齢を感じる出で立ち。それはつまり、自分自身もまた同じはずなわけで。
お互い、外見やら何やらに興味を持つタイプではないのでわざわざ口に出しはしませんが、頭に浮かんだことでしょう。「歳とったなぁ~こいつ」とねw
旧友とは学生の頃からの付き合いで、別に意図しての結果ではないのですが、中~高~大学が同じ。多感な時期を一番長く、一番近い距離で過ごしていたと言って良いでしょう。人生の前半戦を共に戦った仲間、といった雰囲気ですね。
この友人は今では都会に住み、仕事の内容を言えば「おぉ、一流っすね!」ということ間違い無しの、理系のイケてる頭脳派。
地元は私と同じ田舎のくせに、「行きつけのダーツバーのオーナーがさ...」という、私が一生口にすることがない枕詞でトークを始めるような、何と言うか...もう...悔しいくらいにシュッとした人間なのですよ。
そんな友人と会うのは1年半ぶりくらい、お酒を飲むのは4~5年ぶりになります。けれども不思議なもので、というか皆さんもご存知の通り。
青春時代からの知人はタイムマシン。会えば秒で「あの頃」へ瞬間移動しますよね。
普段は連絡なんて取らず、近況も大して知らない。けれども何となく顔を併せれば、そこに人見知りや遠慮も容赦も一切無し。ただただ幼くてアホな若者だったあの頃に立ち戻ったかのように、しょうもない話で盛り上がる。
なんとも得難い時間です。楽しくないはずがない。それだけでも来て良かった、会えて良かった、と思う貴重な時間でした。
とはいえ...ここ数年に私に起こった出来事については連絡をしてあり、現在無職であることも承知の状態。今後について相談するでもなく、あーしろこーしろとアドバイスされるでもなく、ただ何となく、自然と、お互いの考えをぽつりぽつりと挙げて行く時間は、もちろんありました。
この言葉のひとつひとつが刺さりまくり、今もまだ自分を締め付けるのです。
これだけ関係が続いているのだから、お互いの考え方は違えど根っこの部分は共感しまくりなわけで。自分とは違う人生を歩み、違う環境で生きている、けれど特性の近い同年代の仲間の口から出る言葉は、どれもこれも「それな」の嵐。
とはいえ、現実はそうは行かないのも事実。「そうは言ってもさぁ」という反論は数知れず、けれどもそれは理由でもあり言い訳でもあるわけで。
そしてこの日の朝。私は自分の人生の今後を決めるかも知れない、ある決断をし、始めの一手を打ったばかりの状態でした。
そうしてから会いたかった、というのもあるのかな。自分なりの結論を出してから会わなければ、引っ張られそうだと思った...のかも知れません。
私は、数ある私の中の「願い」の中の一部を叶えるためにある選択をしました。それは同時にその他の願いを諦める行為でもあります。そして、この友人が優先すべきと考えるのは、そうして私が「諦めた願い」の方でした。
考え方はひとそれぞれ。決めるのは自分。そんな事は解っているのだけれど。これだけに近しい人の思考の影響力は半端ありません。
自分は正しいのか?これで良いのか?という想いが頭から離れないのです。
意見が違うのならば良いのです。「私は、それは違うと考えたんだ」と思考を進めることが出来ます。けれども、友人の考えにもまた完全同意なのですから、「私もそう思うんだけど、それは諦めたんだよ...」状態。意識的に諦め、見ないふりをしていた無念が、重くずっしりとのしかかります。
日付が変わる頃には楽しかった時間はお開き。友人は酔いを覚ますようにたっぷりの水を飲みながら帰路へ付きました。私は全く酔えず、複雑な面持ちのまま宿へと帰って行きます。
朝4時に起き、眠りについたのは午前2時。そしてまた朝4時には目が覚め、さすがにのんびりチェックアウトの時間まで休みつつ、昼頃に自宅へ帰るという不思議な非日常空間。
忙しいようで、楽しいようで、悩ましいような。長い長い一日を終え、世の中は週末へ。どちらにしても、来週からは新しい展開が待っています。
きっと良くなるよ。
良いことが待っているよ。
大丈夫、なんだかんだで上手く行くさ。
そう願うしかありませんね。
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