マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

秋雨の下、ジグザクの優しさに癒される

ジグザクの新譜が発売されました!いやいや、めでたいですね。

どんな物事も良い面と悪い面は表裏一体。歳を重ねると本当にこれを実感しますが、推しが新譜を出すという事実は99.9%が良きことであること間違い無し。深く考えずにただただ「嬉しい」出来事は、本当にありがたいものです。

 

そして、今回のアルバムは前向きに勇気付けられるような楽曲が多い気がしますね。しっかりと深みはあれど、深みにハマり過ぎないような匙加減。

明るく、楽しく、強く前向きに背中を押してくれるような。今の私にぴったりの作品でございました。

 

まっすぐにカッコ良かったり、くすっと笑わせてくれたり。色々な背中の押し方をしてくれるのですが、やっぱりストレートに効いたのはこの曲でしょうか。

生きて

生きて

  • provided courtesy of iTunes

 

爽やかな秋風のようなメロディに載せて歌われる、メンタルヘルスの「基礎」且つ「真理」を説くかのような言葉達。

先の事なんて解らないんだし。

色々と大変なことがあるけれど。

今少し笑っていられるのなら、それでいいじゃない。

 

力を抜いて、難しく考え過ぎないで。今日、今この瞬間だけに目を向けて。

なんとなーく、その内良いことがあるよ、なんて。ふんわりとポジティブシンキングで行けば良いよね...なんて油断していると繰り出されるパワーワード

 

3年先が、10年先が、地味でわびしい日々だとしても...

 

ここで井上尚弥ばりのボディブローが炸裂します。おぉぅ...リアルだ。この先どう転んでも、幸せに溢れた華やかな日々は想像できないのが正直なところ。

ちゃんと生き抜いていけたとしても、「地味でわびしい日々」である可能性は極めて高い、なんともリアルな想定なのです。

 

なんだかんだ愚痴を言いながら、音楽の力を借りながら、えっちらおっちら歩いているのだろうな。そうしてたどり着く結論。最後に紡がれる言葉は

 

生きて来て良かった!  この「来て」がポイント。

 

なんだか、ズキューン!と、心に突き刺さったのです。この絶妙な言い回し、この素敵なニュアンス。

 

私の人生最高だったぜ~!とは思えないし。

もう生きていくのがしんどい。辞めてしまいたい、と思う時は多々あります。

けれど、「生きて『来て』良かった」を否定する場面はありえるのだろうか?

 

「あの時、生きることを辞めていれば良かった」と思う瞬間って、あるのかな?

ここまで生きて来たことが失敗だった。

もっと早くに終了しておくべきたった。

今終わりにしたい、ではなくて。あの時終わっていれば良かった。

そんな感想を持つ瞬間...少なくとも私には、想像が付かないのです。

 

今日が、明日が辛くて。今日が、明日が要らないよ、という想いが有ったとしても。昨日を生きたこと自体が失敗で、後悔する、なんていうムーブは起きない気がするんですよ。

少し前に大きめの失敗をやらかしたましたが、「あの時の判断は失敗だった」と思うことはあるけれど、「あの判断をした頃、生きた日々自体が失敗だった」という考えは生まれないわけで。

 

とりあえず生きれば、明日の自分は今日生きた自分をきっと認めてくれる。

明日が不安かも知れないけれど、気が付けば昨日はゆるぎない足跡になっていく。

それが成功の昨日でも、失敗の昨日でも、喉過ぎればなんとやら。であるならば。

 

ホントは、今日も明日もどうでも良いのかも知れないっすね。良い意味で。