今日が人生最後の日だったらどうする?
日本中、世界中で一体どれだけこすられ続けて来たか解らない、雑談ネタ。
こんな仕事なんかやってる場合じゃないねー、とか。
最後に食べるなら何が良いかなー、とか。
ライトな話のネタとして、軽い気持ちで盛り上がることもあると思うけれど。
歳を重ねて色々な経験を積むと、本当に人生最後の日を迎える場面を目の当たりすることも増えてくる。
人生最後の日というのは本当に来る。必ず来る。決して夢物語ではない。その上で、
今日が人生最後の日だとしたら、あなたはどうしますか?
今過ごしている日々が、本当にこれで良いんだろうか?なんてふと思った時には、是非この曲を。
ゴールデンボンバー、というどんなイメージを持たれておられるだろうか?
「演奏していないバンド」という飛び道具にも程がある裏技で一世を風靡したことは有名な話ではあるけれど、一発屋で消えたなー、なんてことがない。
今も尚しっかりとアーティストとして活動が続いている。
メンバー全員のキャラクター、Liveで観客を楽しませる「エンターテイメント」としての魅力はもちろんあれど、やっぱり楽曲がしっかりしていることが何よりも重要な要素であろうと思う。
鬼才!鬼龍院翔!なんてよく言われるけれど、いやホント良い曲書きますよね。
多くの場合、アルバムの最後はしっとりとしたバラードで締めくくられる。
良質なメロディの上に、決して軽く聞き流せないような、しっかりとした重めのメッセージを載せてくるのが彼らのやり口。
この「広がる世界」でつづられる歌詞。十人十色な世の中に於いても、大抵の人はどこかしらに共感が出来るんじゃないだろうか。
いつの時代もどこかともなく現れる終末予言。
どうせ嘘だろうと確信しつつ、まぁ、今日が終わりでも別に構わないかな、なんて。
誰でもそんなことを思ったことはあるでしょう。
もし、本当に明日で最後だとしたらどうするんだ?
やり残したことがあるでしょう?言い訳をして、夢をあきらめているだろう?
そんなメッセージだって、もう何度も何度も言われていること。
いやー、別に夢とかないし。
やり残したことなんて、ホントに何もないし。
という方も多いでしょう。
自分もそう、本当に夢も何にもない。成し遂げたいことだって何もないし。
けれど、曲のクライマックスに進むにつれて、
周りの人に感謝は伝えたか?行きたいところには行ったか?
と、夢や人生と言ったものから、むしろ小さく身近な物へと展開されていく。
確かに、最後の最後に行きつくのはそこなんだよなぁ。
なんて、唸ってしまったのです。それを解って構成しているんだとすれば、凄いなぁ。自分の体験を顧みると、ホントにそう思う。
あそこに行ってみたい、行こうと思っていたのに、とか。
もう一度Liveに行きたかったのに、とか。
近くに居る相手だからこそ、あらためて感謝の気持ちを伝えてなかったかも、とかね。
そして歌の締めくくり。これがホントに「らしいなぁ」と思ってしまう。
夢や人生から始まり、感謝や身近なことに焦点を切り替えていった後に、最後の最後に行き着く結論、歌を聴く人、あなたへのメッセージ。
言い方とかも含めてね。何だかふわっと優しい気持ちになれる。
歌詞の最後は、
明日も生きようね。