マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

チラシの裏_003 言語化することへのためらい

ブログを初めて一か月以上が経ち、そこそこの記事が増えて来た今日この頃。

どの曲について書くか、は手持ちの楽曲を聴きながら基本的に思い付きで決めているんだけれど、中々手が出せない、という曲がちらほら。

 

あ、この曲について書いてみようかな。と思いついてPCと向き合うこと小一時間。

 

書、書けねぇ...

 

なんてことが珍しくないんですよ。

 

 

順序立てるためにちょっと回り道をしてしまうけれど。

最近、言語化って言葉を本当によく耳にする。言語化することが重要だ、言語化することで整理が出来る、見えてくるものがある。うん、異論はない。

 

誰かと何かを共有するには、基本的には言語化しなければならない。解り合えたつもり、ではなく、しっかりと言語化して認識し合うことで良好なコミニュケーションが成り立つ。

 

自分の悩みや苦しみは、ぼんやり抱えているだけでは無限大に大きい。それをしっかりと細かく言語化することで、目に見える形になる。そうなってしまえば、対処のしようが出て来ることもあるし、得体の知れない大きな不安に潰されるようなこともなくなる。

 

何度もうなずく。ヘドバンで鍛えた首ですら疲れてしまうほどにうなずく。

けれども...だ。

 

裏を返せば、言語化した瞬間に、「ナニモノカ」は形になってしまう。

そして一度形になってしまった物は、「ナニモノカ」には戻れない。

 

なにをそんな当然のことを...とお思いだろうか。けれども、これは自分にとってはとても由々しき問題なんですよねぇ。

 

もしも自分が夏目漱石であったなら、芥川龍之介であったなら、村上春樹であったなら...

様々な言葉を巧みに操り、今日の日々を七色に塗り分けることが出来るし、美しい物事を余すことなく美しく、素晴らしいことを珠玉の秘宝かのように表現することが出来るのだろうけれど。

 

残念。自分はただのイッパンジン。

 

自分ごときの拙い言葉で、本当に素晴らしい物を言語化してしまって良いのか。

そして一度言語化してしまったものは、その様が強く脳裏に焼き付いてしまう。

 

例えばある日、とても素敵な人と出会えたとする。

何とも言葉にすることも出来ない、ワクワクするような、ドキドキするような、幸せな気持ちが訪れたとする。

これを雑に言語化してしまったらどうだ?

 

今日は美男/美女・顔が良い人と出会えた。やっぱ顔は大事だね、うん。

 

台無しだよ。そして、「えぇ、自分は相手の顔面偏差値だけ見てたのか」みたいな言語化して見える化したくなかった所が明確化してダメージを受けることもある。

 

 

素晴らしい音楽と出会い、受け取ったメッセージ。

その音楽と共に、歯を食いしばって戦い抜いた日々。

音楽からもらった、大事な大事な「形のないかけがえのないナニモノか」。

これを今の自分のレベルの言語能力で言語化は...出来ねぇよなぁ。

何物にも代えがたい、表現しがたい素敵な素敵な無限大の宝物を、自分の手の平に納まる箱に詰め込んで、俯瞰して眺めてしまうことの悲しさ。

 

言葉にしてしまうことで、言葉よりも大事なニュアンスがそぎ落とされてしまうような気がして。

 

言葉にしたい気持ちと、言葉にしたくない気持ちと。今日もがっぷり四つで組み合いながら、ぐるぐると転がりながら、今日も駄文を書き綴る。

 

まぁ、楽しくは...ある。