いやー、精一杯やり切った。悔いはないよ!
年齢を重ねれば、こんなことを思うこともあるでしょう。
精一杯頑張って、目指した物にたどり着いた時。
やれるだけのことをやって、決して自分が望んだ場所には届かない、と悟った時。
やり切ったという想いは決して悪い物ではないし、その気持ちはやり切った者にしか解らないことだと思う。
けれどもし、やり切った想いに少しでも「しこり」があるのであれば、この曲を聴いてみるのも良いかも知れない。
NoGoDのBreak out!本当に真面目に頑張り抜いた人が聴く場合は、ちょっと後述の内容も少し読んでみてから摂取していただきたい。
このBreak out!はNoGoDが活動十周年を経て、大きな山場を迎えながら完成させたアルバムproofの実質的なオープニングを飾る曲。インストのIn the cage...に続いて繰り出され、いきなりハードパンチを食らわせてくる。
2バスに乗せた叩き込むようなリズムでひたすらにBreak out!と叫び続ける。
軽快なリズムと要所でのBreak out!のコーラス。
さらっとライトに聴く分には、まだまだ走り続けるぜ!これから始まるこのアルバムを喰らえぇ!という力強いオープニング曲、とも捉えられる。
けれど、自分のような変にクソ真面目な人間に取っては、意外な刺さり方をするのがこの曲。
「もうやりきった」そんなセリフ聞き飽きた。
「もう十分だ」そんこと言わせない。
まだまだ行けるぜヘイヘイヘーイ!と受け取れる人ならば良いけれど、本当に全力でやって届かなった人、燃え尽きた人が受け取るとどうなるか?
「まだこれ以上走り続けなきゃ行けないのかよ...」
常に上を目指す。日々進歩する。現状維持をしていることに価値なんてない。
常に変化し、より優れたポジション取りをし、より良い結果を得る者だけが生き残る。それが資本主義という世界。
メジャーリーグで大活躍する結果を得なければ、野球をすることに意味はないのか?
大成功して売れに売れまくらなければ、音楽をやる意味はないのか?
常に上を目指し、努力し、昇進や優れた結果を得続けなければ社会人として価値はないのか?
やりたい事だけやって、やりたくない事をやらずに生きるなんて、子供の発想だ。
人生には限りがある。本当にやりたい事以外に人生を使うのは勿体ない。
人は常に関係性の中に生きている。自分のためだけに生きるの事の何が面白いのか?
どれもきっと正しい。けれど、どれもが「全て」ではない。結局は自分の生き方は自分で決めなさい、というルール。その一方で、半ば強制的に求められる成長。
そんな中で「もうやりきったなんて言わせない」なんて言われても...と。本当にやりきったのに、届かない自分に価値はないのか...と。
ちょっとこの曲が苦手だった時期があった。
けれど、この曲のカッコ良さにやられ、何度も何度も心の中でジャリジャリと刺さるトゲを転がしていると、何だか違う様子が見えてくる。
この曲が生まれた時の彼らの実績と置かれた状況を考えると...きっと、この曲のメッセージには違う受け取り方があるのではないか?
そこに気が付いたのがこのフレーズ。
「全部出し切った?」それでもまだ、君は空っぽなんかじゃない。
この歌は、まだ出来るだろう?限界ではないだろう?もっとそのまま走れるだろう?もっともっとそのまま走って行けよ!という意味合いとは、少しだけニュアンスが違うのではないだろうか。
全部やり切って終わっちゃった?
いやいや、もっと他にもやりたいこと、あるんじゃないのかい?楽しみたいことが、楽しめることがあるんじゃないのか?
自分の出来ることはここまでだ、もう出来ることはない?
いやいや、もっと「出来ること」は「他の場所にも」あるんじゃないのかい?全部終わってはいないんじゃないのか?
プロ野球選手を目指す人が居たとして。
本当にやり切って、自分はプロ野球選手になれない、ということを解ってしまった。
もう、自分の野球人生はここまでだな。
いやいやいや、違うんじゃない?
草野球で続けたって、楽しいならいいんじゃないか?
プロ野球選手になれなくても、プロ野球に関わる仕事をして、プロ野球を盛り上げていくのも良いじゃないか?
行き止まりの道なんてない。例えどこにたどり着いても、そこから道は続いている。
そこが行き止まりだなんて思っているのは自分だけ。
自分が勝手に思い込んでいた「行き止まり」の看板なんて、さっさとBreak out!してさ。もっと面白い景色を見に行こうぜ?
ここから繰り出される次の曲が、自分的にはNoGoDで1~2を争う神曲なんだけれど。それはまた、別のお話...