苦労もありながら、それなりに楽しい青春時代を過ごした皆様。申し訳ない、今日のところはお帰り願いたい。
スクールカーストの最下段で、教室の隅でひたすら気配を消していたあなた。
学校という社会の中に居場所すらなかったあなた。
「周りと違う」と、無為の排除を受け続けていたあなた。
「普通という名の仮面」を必死で被って息を殺したように生きて来たあなた。
今日はみんなでこの曲を聴こう。
マキシマム ザ ホルモンの予襲復襲。世界は二種類の人間しかいない。
この曲で涙する者と、しない者、だ。
この曲は、込められた物が自分にとってあまりにも大き過ぎる。まずは楽曲としての秀逸さをするっと味わって行こう。
ホルモンの良さの一つは、全員が歌えること。ホルモンを知っている人ならば最早普通のことだけれど、いきなりドラムの可愛らしい(?)女性ヴォーカルから始まる展開。意外とレアケースですね。(?)を付けた意図はお察しください。
ベースだけの重く静かな雰囲気での亮くんの語り、ダイスケはんのデスヴォイスターン、圧倒的なヘヴィネスで襲い掛かる楽曲。
ところどころでシンガロング部分が程よいブレイクとなり、ヘヴィな部分をより楽しめる。
そして晴れ晴れとした雰囲気のエンディングへ。意味あり気なワードもちらほらと耳に入り、「あーなんか良い曲だなぁ」というのが初めて聴く時の印象ではなかろうか。
中二、もしくは厨二という言葉が何度も現れ、自然と若い時分や青春時代をモチーフとして、マジョリティに抑圧されたマイノリティ側の叫び、反骨心、それを抱えながら生きる決意、みたいな物が、テーマの最大公約数的なものかと思う。
けれどこの部分、本当に「こちら側の人」であるかどうかによって、感じ方は全然違うんだろうなぁ。
そして、なんだかんだと軌道修正をしながらも、マジョリティ側へ回ることが出来た人と、あくまでもこちら側に居続けるしかない人、とでも別れてくる気がする。
牙はまだ生えておる。
「それな」ボタンが壊れるほどに連打したい。
「それなり」に生きていくには、「それなりに」振る舞うしかない。経験を積んだ我々は、下手をすると周りから見ると「何だかひょうひょうと苦労なく生きているように見える」なんて言われてしまうことすらある。
いやー自分コミュ症なんで...と軽く世の中をすり抜けていく人達も居るけれど。意外に「本物」こそ、血の涙をこらえ、苦汁を強引に飲み込み、泥をすするような気持ちで毎日を生きていたりする。
乗り越えたわけでもない。克服なんて出来ていない。苦しみながら「それでも何とか生きている」だけ。そう、牙は今もまだ生えている。むしろ増えている、まである。
誰に伝わらなくても良い。
金にならなくても良い。
過去の痛みを許すだけ。
このあたりのフレーズを聴いて、何を想うだろうか。そして何が込められているのだろうか。
辛かったあの頃を振りきって、乗り切って、もう自分が思うままに生きていくぞ、という力強い宣言だろうか?
自分にとっては、絶対に消えることのない深い悲しみと諦めに近い感情に感じられる。
ヒトが集団で生息する生物である以上、絶対にこうした現実はなくならない。
集団を形成して、一つの方向に向かって、一定の秩序の下に行動する。これは絶対になくすことなんて出来ない。
集団であるからこそ、ヒトはここまで進化することが出来たし、ひいては今自分がこの世に生まれた現実へつながっている。
社会に馴染めないよ、といっちょ前に主張したところで、そんな自分が物を食べて電気を使って生きている時点で、社会の恩恵にどっぷり浸かっていることもまた事実。
近年、SDGsやら何やらと。より多くの人が自分らしく生きていく世界を目指すという流れがある。これに異を唱えるつもりはないけれど、本当に難しいと思う。
結局は「そういう活動を是とする集団」というマジョリティを作ることに他ならないし、多様化する価値観の中で「それぞれの正義」が「自分の正義とは異なるという定義の悪」を叩き合っている毎日。
ヒトがヒトとして社会を形成して生きていく以上、苦しむ者が生まれることは避けられず、自分がそちら側になってしまった事実も変えられない。
紛争、政治、経済、芸能、SNS、身の回りの人間関係まで、今日もあちこちで生まれ、いつまでも消えることのな数えきれない歪み。
寿命が存在するように、災害や病がなくならないように。どうにもならない問題が存在しているという圧倒的な現実。
もうどうすることも出来ねぇわ。だから俺はこのままロックをやって行くよ。
どこだったか..甲本ヒロト氏のさらっと放った言葉が耳に残る。
問題が解決なんてしなくてもさ。ロック聴いてればいいじゃん。
だから、みんなでこの曲を。カッコ良い曲を聴こう。それでいいよね?