あの夏の想い出
この言葉が持つ不思議な力というか、ニュアンスって何なんだろうね。
たったの一言で、昔の想い出、何なら幼い頃や青春時代、楽しいようで少し切ないようなニュアンスまでも表してしまう。
夏休みのような、多くの人に共通した体験みたいな物がカギなんだろうか。
季節外れの雷の音を遠くに聴いて、ふと思い立ってこの曲を聴く。
Do as infinityの遠雷。
この曲を聴いて、あなだ思い浮かべる原風景は、どんな想い出だろうか?
雷、嫌いだったんですよ。
自転車で小一時間かかるような川に遊びに行き、そこで天気が急転して雷が鳴りだすとさぁ大変。田んぼの真ん中で雷から身を守る術などなく、子供心に「雷に打たれてしまう恐怖」に駆られていた記憶がある。
漫画のように迫る雷をすんでのところでかわしながら逃げ惑う夢、何度見たことか。そんな強烈な想い出のせいか、雷=夏=子供時代、という刷り込みが人一倍強いようで。
アルバムのエンディングを飾る曲は、実にしっとりした楽曲に併せて、昔々、幼少時代だろうか?の記憶をたどるような曲になっている。
登場するのは幼い子供とその母親。「あなたの背中で眠る」という言葉から、母親が背負えるくらいの年頃のお話であろうと推測出来る。
歌詞は短く抽象的で、物語の詳細は語られない。「答えられないことを聴き」「みんな一人で生きていくもの」「最後のなみだ」というあたりから、きっと一つの悲しい結末があったのだろうな、なんて想いを馳せる。
そして締めくくりの一言。
あの夏の匂い
この一言で、楽曲として聴いていた心が、ぐっと自分事に引き寄せられる。
夏の匂いって、あると思うんです。きっと人それぞれに、それぞれの匂いと想い出が。むせるような草木の匂い、降り出した雨が巻き上げる土埃の匂い、潮風の匂い、なんて人も居るかも知れない。
急速に巻き戻る映像。映し出されるあの頃の自分。
両親が共働きで何とか生活していた環境、病気によって長い入院生活を送っていた兄弟、少し言いにくい、ちょっと普通ではないものに傾倒していた家庭(自分と兄弟は全力でコレから逃げ出した)。
幼い自分はとにかく、母親にあちこち連れ回されていた。
例えばアルバイト先の役場。何十年も前の昔の話ですよ。現代の都会じゃあるまいし、保育スペースなんてあるわけもなく。自分と母が怒られないよう、ただただ大人しくしていた。
病院でも、色々な場所で。知らない大人達に囲まれて、ただただ静かに独りでじっとしている日々。
その結果がこれであーる©亮くん
振り返れば何やら苦しいことばかりな気がするけれど、とりあえず今目の前にあるのは、誰も居ない静かな自室と一杯のコーヒー。
いつの日かこの景色も、思い出される過去に上書きされていくんだろうなぁ。