青春時代を想い出して、昔は良かったなぁ...なんて思うこと、ないんですよ。
そりゃあまぁ、青い春なんてなかったし、灰色に染まった夕立前の空みたいな若き頃を過ごしていましたからね。
けれど、良かった、悪かった、ではなくて。ただただ昔の事を想い出して、不思議な気分に包まれる、ということはあるわけで。
その頃にあった世の中。周りに居た人達。その中で無様に生きていた自分。思い起こされる風景は必ずしも劇的ではなくて、なんでもない普通の生活の一幕。
三畳の狭い部屋で深夜テレビを見ながら実験レポートを徹夜で書いていたあの日。
もう20年前になるのか。Drgon ashのViva la revolution。まだ「ある特定の曲が一世を風靡する」という現象が起こり得たあの時代。同世代にしか伝わらないかもしれないけれど、この曲を聴いて、あの日を想い出しながら、ちょっと良いお酒でも飲みましょう。
Dragon ash。一世を風靡したと言って良いですよね。凄い売れたし、どこに行ってもGrateful daysとかが流れていた。「悪そうなやつは大体友達」というフレーズ、今でいえばバズりにバズりまくった記憶がある。
当時コテコテのジャーマンメタルとかを聴き漁っていた自分に取って、Dragon ashは何だか別世界。別ジャンルの凄い人。自分が聴くなんておこがましい、超お洒落音楽、なんていうイメージがあった。
当時の自分の周りには、メジャーな音楽を含めて音楽に明るい友達はいなかった。友人から影響を受けるなんてこともなく、自分がこのアルバムを手にした理由は、よく解らない。
実際、このアルバムは非常に良かった。万人に聴きやすい、という意味では、そのジャンルに特化した見方をすれば薄味なのかも知れないけれど。別界隈の自分でも、深いことを考えずに、心地よい音楽に包まれることが出来た。
一番流行っていたのはGrateful daysの方だったと思う。曲を聞いたり、MVを見れば、当時の時代を生きた人ならば「あー、はいはい知ってる」となるはずだ。
もちろんこのViva la revolutionもタイトルトラックなのだから必殺の一曲なんであろうけれども、自分に取って一番「バズった」のはこちらの曲だった。
言葉の力で楽曲を牽引し、言葉が正面から、すっと心に染み入るこの感覚。
自分が好んでいる音楽は、楽曲を楽器の音、ヴォーカルの声色で牽引し、その中に載せられた歌詞の「意味」を音楽に溶かして摂取するようなイメージ。
ダイレクトに言葉の力を抽出して、言葉を届けるための入り口をあけるように音が存在する、という感覚は無かったのだと思う。
初めて出会うその感覚が、心地よかったのかな。
Viva la revolutionの、優しく静かな音楽に、優しく静かな言葉が注ぎ込まれる様は、多感だった当時の自分が持て余していた心を癒すのに、一役かってくれたんだろう。
この曲を聴いて思い出すのは、劇的な青春の一幕なんかじゃない。
狭い部屋で独り、別に面白くもないはずなのに、何だか面白いと思ってずっと見ていた深夜テレビを掛けて、小さなブラウン管から出る光を横目に大学の実験レポートを書いていた姿。
華麗に人間関係をドライブさせて「完成された出来の良い過去レポ」という必勝アイテムを手にすることのなかった自分は、愚直に課題に取り組んでいた。
要領良く、華麗に世の中を渡れない自分は今でも変わらないけれど、その代わりに愚直にコツコツ積み重ねることで、技術を手に入れるという行為が苦ではなくなった。
派手な瞬間ではないけれど、今の自分の生き方を決めることにもなったのかもしれない、あの三畳の部屋での一幕を想い出しながら、改めてこの曲を聴いてみる。
歌詞はあの頃とは変わらない、けれど自分の心が受け取るメッセージは、その時その時の自分によって変わってくる。
壁ぶちこわして 次のこと始めよう さあ
僕らは動き出して また何か始めるでしょう
こういう歌詞もあったんだなぁ、と今になって耳につく。
そうだなぁ。新しいこと。始めよう。