先日、怒髪天のオトナノススメを聴きながら、記事を書きながら、ふと思う。
人生の後半戦。第二の人生。うん、自分のこれからを表すのにイメージ通りという気もするし、ちょっとだけニュアンスが違っている気もする。というか、そういうのならば第三の人生だ。
世の中や周囲に守られながら育ち、なにも出来ない自分に絶望し。
自分なりに頑張って自立して、パートナーと出会い、幸せな暮らしを経て。
仕事でもそれなりのスキルを身に付け、信頼も勝ち取り。
早過ぎるとはいえ、パートナーの最期を看取り、それでも続くこの先の人生。
まだまだ人生終わりたくはないし、もし今日、人生が終わってしまうとなればとても哀しいし辛い。
けれども、だ。その終わりの時に、「俺の人生ってなんだったんだろう?」とか、「何にも出来ない人生だったな」とか。そういった想いは生まれない気がする。それなりに幸せな時を生きられた。それなりに「自分以外の誰か」の役にも立てた。
この人生に、「ある一定の満足感や達成感」は得られることが出来ている状態。それでもこの先も続けていくという気持ち。
あーこれ、エンドコンテンツですやん。
ゲームをやる方にとってはもはや常識でしょうけども。最近のゲームはストーリークリアで全部終了、なんていうものはほとんどなくなった。ラスボスの後には裏ボスが居て、大量のサブクエがあって、裏ダンジョンやレアアイテム、終わらない育成の数々がある。
ラスボス撃破後の長いエピローグの果てに、物語の真相や衝撃的な背景が語られて行く、なんてパターンもある。ドラクエ8からそうだったもんね。
モンハンなんてストーリーボスを討伐してからが本番、そこまでがチュートリアルと言わんばかりの無限の狩ライフが待っているわけで。
ざっくり40年の人生。
世界や世の中を一通り見渡すことが出来た。もちろんそれは氷山の一角であって全てではない。ある程度生きて行けるだけの経験値やスキルも獲得した。けれど、ある一方向にステ振りしてるだけで、まだ見ぬパーク、使ったことのないスキルだって山盛りだ。
ストーリークリアを目指す!というある種使命じみた目的を持つのではなく。クリア後も名作ゲームの世界を堪能するように、隅々まで楽しもうと思うように。この世界の色々な物を見て、経験して、楽しむためのプレイ。
もしも終わりが来てしまったなら、サービス終了の時が来てしまったら。その時はコントローラーを投げて怒りに震えることはなく、「いやー楽しかったよー」と言いながら、笑顔で電源を切ることが出来るように。
そんな風に生きられたら、素敵だなぁ。メインストーリーの終わりはとても悲しく辛いものだったけれども、そんな「区切り」が無かったとしても、年長者っていうのはそういう立ち位置で、若者や世の中の潤滑油としてあるべきなのかも知れないなぁ。
でもねぇ、今の時代は本当に油断禁物でね。のんびり楽しく、エンドコンテンツを満喫していると、あいつが来るパターンがあるんですよ。
DLCによる大型拡張パックのリリースという嬉しい悲鳴。
まだまだ油断はできねぇよ?神様の不敵な笑い声が聞こえる気がする。