おっかしいよなぁ。スマホ見るとさ、今日は1/4だって言うのよ。
ついこの前、大晦日だー!なんて言ってさ。蕎麦食べたりして。
お正月だーなんて言ってさ。お持ち食べたりしてたのにさ。
もう、1/4だって言うのよ。画面にもそう書いてるし、アレクサもそう言うの。
1/5って、仕事なんですけど...マジですか?
この湧き上がる怒り。止めることの出来ない時の流れ。従わざるを得ないルール。抗えない社会という巨悪と凝り固まった固定観念への反骨(現実逃避)。
そんなポイズンで言いたい事も言えないこんな世の中で2023年も戦い抜くには必要なものがある。あれよ、あれ。もう耳タコっしょ?メタルよ。
インドの大いなる大地から現れた鉄人バンドBloody woodのMachi bhasad。ゴリゴリのメタルサウンドを聴きながら明日の支度をしましょう(諦めた)。
初っ端からヘヴィなギターサウンドが一閃すると、Bloody woodならではの雰囲気たっぷりな民族楽器の音が響き渡る。スタートから期待感がMAXになったところで、爆裂音とラップが滑り出していく、もう鉄板中の鉄板の展開。
もう言わずもがなではありますが、Bloody woodの特徴の一つがこうしたインドからのルーツを強く感じさせる独特の音ではあるのだけれど。Bloody woodのコアにあるものはそこではなく、ゴリッゴリのギターサウンド。
一見する相反する二つのエッセンス、更には英詞によるラップまで完璧なバランスでMIXしてくる先鋭さと音楽の無限の包容力を見せ付けてくれるのが、このBloody wood。これ、後々にも効いてきます。
力強い大胸筋とラップに牽引されて盛り上がる楽曲に合流するは、ヒンディー語で奏でられるメインヴォーカル。この人の歌がまためちゃくちゃ上手い!正直ほぼ無縁の言語圏の歌なんて全く馴染みがないけれど、とにかく歌がうめぇ!ってことは私のような素人でもビンビン感じてしまう。
音の展開も見事で、ヘヴィで足腰のガッシリとした路線と、キャッチーでヒロイックな路線との混ぜ具合が実に絶妙。ゴリゴリ行くところはメタルで押し切り、メロディで切り込むところはしっかりと民族楽器が織り交ぜられて心地よさが演出されている。
このバランス感覚というか、音楽への思想がBloody woodの根幹にあると感じられる。
メタル?ラップ?インド独自の音楽?どれが主役で、どれがメインで...なんてレベルではない。みんなで平等に平和に仲良く...なんて生ぬるい話でもない。全てが全開の全力で〇りに来る迫力がある。
この楽曲の歌詞は?込められた意味は?という点に目を向けると。
立ち上がり、宣言する。戦う、革命を起こすぞ、大きな変革を実現していくぞ。といった意味合い。彼らの理念から考えれば、それは音楽で...という意味もあるだろうし、もっと世の中の社会的な物事をも視界に捉えていると思われる。
Tシャツにびしっと書かれた「No Flag」の文字。それぞれが自分の旗を立てて主張をぶつけ合うのではなく、そもそも旗なんか無いだろう?という多様性を許容しようという意味らしい。
多様性というと、少なくとも自分の目に入る領域に於いては、「平和」「やさしさ」的な概念と共に語られる気がする。みんなで認め合おう、仲良くしよう、と。
どうも違和感があるのです。そんな生易しいものかね?自分と主義主張が違う相手と尊重し合うっていうのはもっともっと過酷で困難な目標ではないだろうか。許容して認めれば良いなんて簡単な問題ではなく、現実的に両立出来る、高度で理想的なナニモノかを作り上げるという、過酷な道のりに思える。
それこそ「困難と」闘って、「理想通りではない現在」を壊して革命を起こす、という類のものではなかろうか。自らが作り上げて勝ち取る類のものではなかろうか。そんな姿勢を彼らから感じてしまうんです。
彼らは異なるジャンルの文化や音楽を融合することでそれを示している。彼らの音楽は、それぞれの音楽を並べて、認め合って、称え合うような生易しいものではない。それぞれのBestを尽くして、最高のMixをして構築することで、一歩次元の進んだ世界へ進むことで、多様性というものを実現している。
みんなで手をつなぎ合うという行為にもまた、闘うことは必要だよなぁ。能力も考え方も人生も違う人同士で、協力して取り組んでいかなければいけないもんなぁ。それに必要なのは、正しさを叫ぶことでもなく、現実をなげくことでもなく。
考えて、戦略を練って、創意工夫して闘うことだよなぁ。
段々と脳みそが仕事モードに入っていく。残された僅かな期間で出来ることは、残せるものは。釣った魚ではなく魚の釣り方を後々に残して行くには...
あー嫌だ嫌だ、結局仕事のことなんか考えちゃってさ。新年初日から出張して問題解決して来いとか、ハードよなぁ...