メタラーの日々は忙しない。
気が付けばヘドバンするし。
盛り上がればシャウトするし。
壁にぶつかれば、迂回なんてしないですぐに叩き壊し、焼き尽くす。
何かとうちのめされては、諦め悪く無様に這い上がり、また歩き出す。
それでも、というかだからこそ?
たまには、ちょっとのんびりする時間も必要だよね。(自分に言い聞かせ)
MUCCの優しい歌。決して軽いわけではないんだけど、ちょっとほっこりするような、タイトル通りの優しい歌。聴かせてよ。ねぇねぇ、ふかわくーん(ry
MUCCの楽曲は変幻自在。背筋が凍るほどにきっつい現実を唄った歌もあれば、激しかったり、爽やかだったり、色々な曲があるけれど。こういう優しい曲、ほっこりふんわりする曲って、意外と少ないような気がして。気のせいかな?Marry youとかも好きだけどね(軽くはないけれど)。
ちょっと沖縄味を持つ雰囲気の中で、ゆっくりとメッセージが歌われて行くこの曲は、劇的に心を揺さぶるようなことはないんだけれども。ふんわりと柔らかく、心のどこかを刺激してくれる、そんな仕上がりになっております。
お元気ですか?かわりはないですか?という、手紙のような始まり。この展開が既にニクイよねぇ。この曲を贈る相手。メッセージを贈る相手。聴き手の数だけ、無数の物語がすっと自然に創造されていく。
手紙にしたためるくらいだ。少し距離のある人なんだろう。最近会えていない人。家族かな?馴染の友達かな?お世話になった人かな?はたまた、もう二度と逢えない相手だろうか。
この曲が生まれたのは2000年代。我々中年からすればついこの前だけれど、普通に考えれば15年くらい前ともなれば、遥か昔とも言える。なのに、これが今現在の世の中に対して唄っている、ようにも見えてしまう。それだけ不変的なテーマなのか、世の中なんてものはいつだって変わらないものなのか。
自分自身は何とか頑張ってるけれど、世間は今日もどこか物騒で。誰もが足早に歩いているようで、めまぐるしい日々の中で、「生きることに急かされる毎日を不器用に噛み締めて」いる。うーん、これ縄文時代でも通じるんじゃないかなぁ。
そしてこの歌がたどり着く結論は、
「歌うことで、少しでも強くなれる」。
文字通りに声を出して歌を歌う、というだけではないんだと思うんです。謳い文句、なんていう言葉があるように。音にしたり、文字にしたり。何かに表現する、創り出していく。形にする、吐き出していく、でも良いのかもしれない。
これもまた、縄文時代でも通じるんじゃないかなぁ。そんなこんなで、文学とか、音楽とか、色々な「表現」が生まれていったんだろうなぁ。
誰が読むわけでもない、誰に宛てるわけでもない。けれどもどこかの誰かが目にしてくれるこの場所に、毎日毎日飽きもせず。混沌とした自身の中から、ちっぽけなナニモノカをひねり出して並べていく。
この行為が自分にとって+にはたらいているということは、どうやら間違いはなさそうなんでね。ひとまずは1年間、毎日投稿を目指そうと思ったんだけれども...気が付けば、息を吐くように無意識に続けている、今日この頃です。皆さん、お元気ですかー。