ひとから愚痴を聴くこと、悩みを聴くこと、結構多いんです。それも割とガッツリと深い部分まで話されることがね。
相手の話を聞く、気持ちを聞く、そして共感して頷く。これが基本ムーブであり、これが出来ていればまぁ大抵はokで、「こうした方がいいぞ」なんてアドバイスは蛇足。
大変だな、頑張ってるじゃないか。
その気持ち解るわ~、そういうこと多いよね。
そうなっちゃうのは仕方無いよなぁ...どうにかならないかねー?
まぁまぁ、頑張って行きましょう。
これで半分くらいは終わってくれるのですが、私に話をしてくれる方々は、結構粘る相手が多いのです。「何か良い手はないだろうか?」という具体策まで思考を広げる。「ねぇねぇ、なんとかならないかな?」という目でこちらを見る。
いや...そう言われても、私はあなたじゃないし、打つ手なんてねぇぞ!
と言いたいところ...というか実際にそう言うんだけど、あーでもないこーでもない、と打開策を挙げては却下し、行けるか?と喜んではダメだと諦め、こんな議論を延々と繰り返しがち。
その結果、相手は相手で気を紛らわしたり、何等かのヒントを得てくれるのでしょう。正に「マイツの小部屋」という感じで、相談小屋、駆け込み寺みたいな無料コンサル業を営んでおります。
そんな中、先日も知人から長尺の話を聞きましてねぇ。自分にとってのあるあるでもある、真面目な方にありがちなお悩み。
・仕事の役割、担当はしっかりこなした上で、どこまで周囲をサポートするか。
・ここでいう「サポート」とは、ボランティアレベル。業務分掌外の話。
・上長からこの「サポート」は明確に指示されていない。
・自身の「カッコ付け」感も含めて、ついついサポートしがち。
・けれど、当事者からは感謝やリスペクトは得られない環境。
・上長からもその辺りは評価されない、というかそもそも見られていない。
・上長に都度仰ぐのが正論。ただし上長が頼れる者ならそもそもこんな事は起きない。
無理ない範囲でやれば良い。具体的には自分の任務や心身に支障がない範囲でね。相手へのサポートが必ずしも本人のためにならない事もある。良い人ぶりたいだけだろう?自己満足じゃね?そんな理屈は当然解っているとして。
それでも、つい頑張ってしまう。つい助けてしまう。それが報われることはなく、正直者、真面目な者が馬鹿を見る。本当にどこにでもある「あるある」です。
自身で考えて、自分なりの線引きをして生きて行くしかない。最終的な結論はそれひとつしか存在しないのだけれど。
こんなに自分は頑張っているのに...くそぉ!解せねぇ!
という気持ちが無くならないのですよね。自分で勝手にやってるんだから...なんてのは禁句。そんなの本人が誰よりも解っているのだから。自分も忙しい中でついつい衝動的、なし崩しにサポートに回ってしまい疲弊してしまう。周囲への不満も相まって爆発寸前、そんな状態でありました。
ひとつだけアドバイスしたのは、一瞬冷静になる瞬間を意識的に作ること。
サポートするかどうかを、自分がきちんと決定するプロセスを認識すること。
これは確かに自分自身が決めたことである、と意識が出来れば、不思議とキャパは増えるものですよね。自身の精神的な疲労も、他者への寛容さという意味でも。
後は、旨い肉を食わせて、具体的なムーブをしこたま褒めて、持ち上げて、気持ち良く帰っていただきました。
この知人のメンタルが本当に回復したとして、8割以上はお肉の力。うん、知ってる。お肉は正義。中年にとっての牛ヒレ肉は、極上の品ですよ。
あれ?無料どころかこっちが肉代払っとるやないか!自分も食べたけども。
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