マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

四十路にしてウィッチャーにハマる

最近、ウィッチャー3をプレイしております。

世界中で名作と呼ばれて久しく、もうかなり昔の作品になりますが、今までプレイする機会が無かったので、PS5対応したことを機にプレイ。

 

もうね、文句なしにメタクソ面白いわけ。

 

細部まで練り上げられた世界観が壮絶にたまらないですね。そして何よりも主人公の魅力が超ド級

シブオジ全開の外観。

何事にも物怖じせず、博識と実力を兼ね備えた熟練者ならではの魅力。

冷静沈着さの奥に垣間見える人間臭さ。こんなん、惚れてまうやろ。

 

剣や魔法や怪物が登場するけれども、いわゆる「リアル寄り」な世界観。もしも中世くらいの現実世界に、実際に魔法や怪物が存在したら?の模範解答のような。華やかさとは相反する、じっとりと湿り気を伴う陰鬱な世界。

戦争にあけくれる世界の中、ひとたび馬を走らせれば、刑罰として処された〇体が普通に木々にぶら下げられている世界。劇中の暗い時間帯にふと遭遇すれば「うっ」という気分にさせてくれます。美麗になったグラフィックも相まって普通にビビります。

 

そんなゲームの空想世界で描かれるのは、どこまでもリアルで、ある種どうしようもなく、ある種愛おしい人間模様。

主人公がガッツリ絡むメインシナリオを進める上で細かなクエスト、サイドストーリーが進んで行く仕様なのですが、そこで描かれる物語が「ゲームとして」とても秀逸なのですよ。

 

日本の物語に見られるような、輝度が高めの感動ストーリー、という物とは違い、ややドライでありつつどこまでもリアル。主人公≒プレイヤーの意思や選択で物語は様々な結末を迎えるわけですが、これがどうにも救いがない。

正しい選択肢が存在して、Aを選べばみんながハッピー、Bを選ぶと悲しい結末、なんていうのはよくありますが、AとBのどちらを選んでも、

誰かは少し救われて、

誰かを救うことは出来なくて、

ひとつかみの正義は為されたようで、

何らかの悪はより繁栄を続ける、ようなイメージですかね。

 

 

中でも印象に残ったのは、通りがかりに遭遇する小さな小さな2~3分のイベント。超絶ざっくり要約すると、

戦争で虐げられた数人の農民達が、脱走兵を捕まえます。脱走兵はただただ家族の下へ帰りたいと懇願するも受け入れられず。農民達が今正に恨みつらみを解消せんと脱走兵の命を奪おうしている所に、主人公が偶然通りかかるといったもの。

 

話し合いで解決出来るような生ぬるい世界ではありません。プレイヤーに迫られる選択肢は、

自分には関係のない事として、関与しない。脱走兵は恐らく命を落とします。

農民側に味方する。こちらも脱走兵の運命は変わらないでしょう。

脱走兵に味方する。この場合、暴徒と化す農民達から身を守るため、農民側が全員命を落とす結末となってしまいます。

 

このイベント、選択をする時点で結末は容易に想像が付くんですよ。圧倒的な善も悪も最前手も存在しない中、我々は「あくまでも自分個人の勝手な考え」に基づいて何かしらの決断をしなければなりません。その結果、自分だけではなく他人の人生にも関与してしまう。

どの判断も正しくは無い?ならば我関せずという判断も可能です。しかし、その選択もまた、正しいと言えるのでしょうか?文字通り、正解なんて無いのでしょう。現実世界と同じですね。

 

そしてこれはリアルなグラフィックの「ゲーム」です。流れて行くストーリーを読むのではなく、あくまでも自分がボタンを押す行為によって意思を示し、ゲーム中で様々な行動を行うことで辿りつく結末。

説得力というか、実感というか。文章を読むだけ、映像として見るだけ、のエンタメよりも強烈な没入感があるんですよねぇ。これがゲームの良いところ。

 

こんなにちょっとしたイベントでもこれなのですから、大き目のイベントは大変です。何も知らずに選択した結果、イベント上の重要人物の生死までもが簡単に左右されてしまうなんてこともあるわけで。

そんなイベントを終えた後、主人公ゲラルドのメッセージが流れます。

 

選択によって運命がどう変わるかは誰にも分からない。

一度決断を下したらば振り返るべきではない。前に進むしかない。(意訳)

 

染みますねぇ...

この数年間、自分と家族の人生に関わる大きな決断をし続けて、つい最近もひとつの決断を下したばかり...この四十路の心に...実に染みますねぇ...

 

 

 

↓↓↓音楽の話はこちら↓↓↓

マイツの部屋 (meischland.com)