昨日。
エレカシの『彼女は買い物の帰り道』を聴いて。
悲しいような?懐かしいような?どこかほっこりするような?
不思議な気持ちになった想いのままに、毎週楽しみにしている葬送のフリーレンを視聴する。
そこで、あらためて思い出すのです。
あぁ...既視感のあるこの不思議な気持ちは、フリーレンを見ている時の気持ちだ。
超人気漫画、そして今期の傑作アニメとして名高過ぎる葬送のフリーレンのEDテーマ。もう皆さんご存知でしょう。miletの『Anytime Anywhere』。
悲しいようで、寂しいようで、どこか温かい。そんな葬送のフリーレンと渾然一体となった、名曲中の名曲。
独りで過ごすクリスマスを目前に、聴いちゃいましょう。
澄んだ旋律と、力強くも美しい歌声。ド陰キャ中年メタラーだって、こういう音楽もちゃんと楽しめるんですよ。
こってりラーメンが美味しい!と思う人だって、蕎麦も食べればお寿司も食べるようなものです。食べ物と同じで、音楽にだって色々な良さがあるんです。
こういう楽曲の個人的な「聴き所」は、やはり歌詞ですよね。
例えばメタルの場合、歌声は楽器のパート的な「ひとつの音」として楽しみつつ、そこに意図された言葉の中身に舌鼓を打つ、そんな楽しみ方をしています(超個人的意見)。
「音」の魅力がそこにあり、その中から「言葉の意味」の旨味が染み出すイメージ。まるでステーキとソースのよう。肉の旨味とソースの風味が互いを引き立てあうのです。
一方で母国語をメインで歌われる綺麗な楽曲は、歌声の「音」や言葉の「意味」はもちろんとして、言葉自体の響きや美しさが音と調和する迫力があると思うんです。
「音」の魅力と「意味」とが完全に融合して襲い掛かる。全ての旨味が凝縮してひとつになる煮込み料理のようなイメージ。どちらも良きものです。
主題とされているフリーレンの物語。
そこには、美しく幸福だった時間があって。
第一話から悲しみが溢れる時間もあって。
その悲しみの先...だけれども、物語はしっかりと続いて行って。
その時間もまた、美しさや幸せだってちゃんと存在していて。
けれど、悲しみを全て忘れるとか、立ち直るとか、そういう事とも違って。
悲しみや孤独も、いつも静かに傍に居る。
思い出と未来に挟まれた、ほんのり温かい「今」が描かれている。
本当に物語と楽曲とが完全に一体となっていますね。
そして、これって人生そのものですやん。
物語の面白さや、キャラクターの魅力、ファンタジーな世界観の美しさにすっかり魅了されて麻痺していたけれど、この物語は我々自身とめちゃくちゃ重ねてしまえるんだなぁ...と今更ながらに気付いたのでした。
幸せな思い出はたくさんあるし、天国を垣間見えるのなら?もう一度話すことが出来るなら?どこまでも旅して行きたいもんなぁ。
そうしていつの日か、私も作中のフォル爺のようになっていくのだろうか?
仮にそうだったとして。悲しさや寂しさも纏いつつも、フォル爺の姿は凛として、カッコ良い、暖かさをも纏ったものでもあったよなぁ。
これは、ある意味では多くのひとが同じく辿る道であって。
そこに悲しみは存在しても、決してバッドエンドではない...はず。
みんないつかは去るのであれば、去ることそのものもバッドエンドではない...
ということは?そもそもバッドエンドなんていう物は存在するのだろうか?
昨日自分から無意識に滑り出した、「ありのままに過ぎた過去を優しく眺める」という言葉は、葬送のフリーレンからもらった視点なのかなぁ...なんてね。
というかさぁ、YouTubeのサムネにもなってるこの本作最高の名シーン。ここにこの曲を、あの歌詞の瞬間を、バチっとはめやがって!
更にラストの英詩に重ねるのはヒンメルの背中...これはもう、確信犯ですよねぇ。
そんな暖かい曲で歌われている言葉を胸に、独りのクリスマスへと突入して行きますよ。例え孤独な時間でも、そこに温かい思い出があれば...良し!としましょう。そうさせてください...
約束なんてなくても 孤独に迷う日々でも
絶対なんてなくても いつでも届いているから
その涙だって大丈夫 きっと夜が明けるよ