マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

あっさり昆布出汁のような人生

最近の私の人生をお出汁に例えてみました。結果、美味しいから良き、ではあるのだけれどもね。

 

持ち前の性格やら欠点やらのおかげで、割と「負担」の大きな人生であると思っております。いつだって、どこだって、何かに苦しんで、無理して、頑張って来たけれど、決して成功や栄光なんてものとは無縁なタイプ。

仕事の面でも背負い過ぎてメンタルブレイク直前まで追い込まれ、プライベートでも特大喪失を経てズタボロになり、そこから新しい生活へ進むまでの間。それはもう、色々な創意工夫で望みました。

 

出来るだけ、心を平穏に。

決して、背負い過ぎないように。無理はしないように。

心をひと所に置き過ぎず、ぼんやりと全体を眺めるように。

目線は常に今に置き、今この時を生きることに意識を向ける。

 

結果として、狙い通り?UP-DOWNの少ない平穏な日々を送れているような気がするのです。

それはまるで優しい昆布のお出汁のようであり。とてもとても味わい深いようでもあり、けれども少しだけ、味気ない気もしているのかも知れません。

 

新しい職場、新しい人間関係、新しい業務。新しい課題と困難。

相変わらず自分の欠点は抱え続けているわけですから、日々それなりに勝手なしんどさを感じては居るのです。

変に気にしたり、先を心配したり、自分の不甲斐なさを痛感したり。仕事をすれば疲れて家路につくし、毎朝出かけて行くのはしんどいし、月曜日の朝なんて最悪ですよ。

けれども、トータルとしては以前ほどに魂が焼かれていないと言いますか。ま、今日も今日でしたなぁ...という感じで、ふわっと過ごせているような感触。

 

焦点を敢えて「ぼやかしている」所があります。自分の心の動きに注視し過ぎない。感想を持ち過ぎない。結果として、ブログに書こうかなー...という事も今一つ形にならず、日々は過ぎ行くと共に霞に消えて行くイメージ。

 

これは自分の理想が叶い始めているのか?

はたまた、日々を漫然と過ごしてしまっているだけなのか。

これは人生をゆらりゆらりと軽やかに生きているということなのだろうか?

それとも無駄でつまらない人生を生きているだけなのだろうか?

 

なーんて振り返る程度の自我は残っているようですが、そんな想いもすぅ~っとすぐに消えて行ってしまいます。

「そこんとこを煮詰めても何も産まれねぇよ?(自分の場合はな!)」という基礎的な知恵を、ようやく得られたのかも知れません。40年もかかったけれど...

 

幸い、日々がつまらないわけではないですしね。

根を積めない程度に趣味は趣味として楽しんで居ますし。ごはんは美味しく感じるし。庭のみかんを目当てにやってくるヒヨドリ達を「今日もうるさいなぁ~君達」と笑顔で眺める時間も嫌いではないですしね。

 

いつ激辛ニンニク味噌が放り込まれるか解らないもの。今は昆布出汁を楽しもう。

 

今週末は、「親子丼が美味しい行列の出来る店」に行くんだ~と喜ぶ知人の話を聞き、ならばこちらは自作でちょっと贅沢親子丼を作ってやるぞ!という、なんとまぁくだらない野望に燃える、正に昆布出汁のようなあっさり週末であります。

 

さぁ、刻み海苔を買っておかねば...

海苔ってやつぁ、すっと添えるだけでガラっと世界を変えやがりますからね。